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首里城内に飾られた叔母の写真 「残っていてくれたら」 焼失してなお残す期待

2019年11月22日 06:00

[首里城と私] 田畑冨美子さん(77)

 首里城南殿には、首里高等女学校の写真があり、美術教師をしていた叔母・中村ツルさんも写っていた。「諦めてはいるけれども心残り」。田畑冨美子さん(77)=那覇市首里汀良町=は、首里城火災で写真の被災状況が分からないことに胸を痛める。(社会部・西里大輝)

叔母の写真が心残りと話す田畑さん=6日、那覇市首里の汀良町自治ふれあい館

 叔母は沖縄戦で亡くなった。首里城の復元時、叔母の写真を母親と見に行くと、「小さいところがあなたと似ている」と母。記憶はほとんどないが、首里城に飾られている叔母が誇らしかった。

 田畑さんは10・10空襲で自宅を焼かれ、現在の市泉崎付近から母親の実家がある首里に移り住んだ。城西小−首里中−首里高を経て、仕事は首里の農協。目の前にいつもある首里城は、田畑さんの「心のよりどころ」だった。

 農協の婦人部でまとめ役をしていたこともあり、1989年の正殿復元の御材木行列では事務局として関わった。田畑さんも清めの塩を運ぶ係として参列し、完成を祈念した。お神酒を注いだつぼは、田畑さんが収集していた物。当時市長だった親泊康晴さんから「いよいよできるよ」と声を掛けてもらったという。

 92年の落成式では記念式典を盛り上げる催し「慶(よろこ)びの宴」を田畑さんがプロデュースした。「ついにできた」。首里で育った者として、感無量だった。

 ところが、30年かけて復元された首里城は一夜にして焼失し、その光景を目の当たりにした田畑さんは涙が止まらなかった。叔母の写真は、恐らくだめだろうと覚悟はしている。それでも「残っていてくれたら」と考えずにはいられない。

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