抗議船やカヌーの行動を制限するために海上に大きく曲線を描いて張られているフロートやオイルフェンスは、当初は一重だったが、徐々に増やされ、今では場所によって三重、四重になっている。政府・沖縄防衛局は、フロートのさらに外側にブイをいくつか打ち、その内側を「臨時制限区域」と決めている。

 出港した抗議船やカヌーチームが「臨時制限区域」内に入ると、フロートの内側にいる海上保安庁や沖縄防衛局により執拗な監視と抗議者の撮影が始まる。調査や工事への抗議のため、このフロートを越えて内側に入ったカヌーや船は、海上保安官によってすぐさま拘束される。しばらくして解放されるのだが、拘束時の海上保安官による暴力が後を絶たず、ここ数カ月だけでも何人もの負傷者が出ている。

 「臨時制限区域」内にあるフロートは、政府・沖縄防衛局が法的根拠もなく設置しているものであって、抗議船やカヌーを作業現場に近づけないようにするためのものに過ぎない。しかし、このフロートを越えて抗議するという行動は今でこそ日常のことになっているが、当初は慎重を期した行動であったに違いない。不当な逮捕を恐れながらも、身体を張った抵抗が継続して行われてきたのだろう。幾重にも折り重なるフロートやオイルフェンスがそれを物語っている。

 辺野古をはじめとする沖縄での反基地運動は、本土の人々にどのように写っているのだろうか。多くの人は、「沖縄で起きていることは日本の安全のためにはしょうがないこと」、「国が決めたことは私たちにはどうしようもないこと」と考え、そこで起こっていること、そしてそれがなぜ起こっているのかについて、深く思いを巡らすことは少ないのではないだろうか。米軍基地が日本に存在し、その負担の大部分を沖縄に強いてきた事実、基地周辺住民に様々な被害をもたらしてきた事実について当事者意識が欠如しているのではないだろうか。

 昨年、安保関連法案に反対する国会前のデモが行われ、連日メディアで報道された。多くの人々の間で日米安全保障体制、民主主義のあり方について議論されたが、沖縄の基地問題について深く考えるような機会は少なかったように思う。

 本来、日米安全保障体制と基地問題はセットで議論されなくてはならないはずだ。戦後の日本は現在に至るまで、「平和の代価」の多くを沖縄に押し付けてきた。本土の大多数の人々は、日本が歩んできた道について、無関心であるだけにとどまらず、「無意識的な沖縄差別」(高橋哲哉著「沖縄の米軍基地」)を持つまでに至ってしまっているのだと思う。

 ある日、海上抗議行動中にカヌーに乗った女性が海上保安官に訴えた言葉がある。「カヌーでこの工事が止められるとは思っていない。それでも私たちは毎日海に出ます。それは、私たちの誇りが踏みにじられることを決して許せないからです」

 それは、「無関心」や「無意識的な差別」を持つ精神とは対極にある自分たちの歴史や文化への誇りに支えられた強いアイデンティティーであり、沖縄から本土の人々に向けた大切なメッセージであるようにも感じた。

 普天間飛行場の移設先について、日本政府は、辺野古でなくてはならない必然性の根拠を明確に示すことのないまま、「辺野古以外に選択肢はない」との主張を繰り返し、新基地建設に反対する市民を弾圧し、工事を強行している。政府による日米安保体制の「代価」の押し付けという差別的行為に、本土の人々、そしてメディアも加担してしまっていることをもう一度考え直さなくてはならない。

 ユダヤ人虐殺の指揮を執ったナチスの官僚アドルフ・アイヒマンの裁判での証言の検証を通して、「最大の悪は、平凡な人間が行う悪」と主張した哲学者ハンナ・アーレントの言葉が示していることを日本人一人ひとりが考える時が来ているのではないだろうか。

 周りの人に合わせただけ、上司の言うことに従っただけ、という行動がとんでもない残虐行為や差別行為を生み出すことにつながることはないか、平凡な日常や当たり前に行っている私たちの慣習の中に「悪」が潜んでいることはないか、という問いに正面から向き合い、考えなくてはいけないのだと思う。