本土の日本人も、この二面性を戦後のある時点まで(おそらくベトナム戦争の時代まで)はわかっていたと私は思う。しかし、本土の米軍基地が縮小されることで「暴力としてのアメリカ」が不可視化されることによって、日本人はまことに巧妙なシステムをつくり上げた。すなわち、「暴力としてのアメリカ」のことはきれいさっぱり忘れて、「文化としてのアメリカ」だけを楽しく消費することができるという仕組みである。東京ディズニーランドが開園したのは、1983年、すなわち消費社会の爛熟期の始まりに当たる。消費社会とは、消費されるモノが自己完結し、モノの背後にある時には血なまぐさい現実を人々が完全に忘れ去る社会であるが、それは「文化としてのアメリカ」に魅せられ「アメリカ人のように消費したい」と熱望した戦後日本人が行き着いた一つの到達点であった。そんな時代にオープンしたディズニーランドは、こうした仕組みのシンボルと呼ばれるにふさわしい。

 もちろんこの仕組みが出来上がる間に(またその後も)、「暴力としてのアメリカ」が消滅したわけではない。アメリカは世界中で間断なく戦争を続けた。その事実を見ないで済むようにしただけである。「基地でも何でも言われた通りに大人しく差し出しますから、暴れるのはよそでやってください」と言わんばかりに。このように「暴力としてのアメリカ」をやり過ごす仕組みを日本は発達させた。それはなかなかの妙技であったかもしれないが、その代償は小さいものではない。長年このやり方を続けてきた結果、「暴力としてのアメリカ」の暴力性、先の大戦で日本を打ち負かしたあの暴力が、再び日本に対して振り向けられることがあるかもしれない、という事実が想定外になってしまったのである。例えば、今日のTPP問題において典型的に表れている財界や大手マスコミの態度は、まさにこうした状況の縮図にほかならない。

 そして、このような日本の一般的状況における例外が沖縄である。本土における「暴力としてのアメリカ」の不可視化とは、沖縄への基地集中とイコールであり、ゆえに沖縄だけは、敗戦後も返還後も継続して「暴力としてのアメリカ」に対峙することを強いられてきた。だからこそいま、辺野古新基地建設に対してこれほどの抵抗が発生している。沖縄だけが、対米従属の事実を誤魔化す「戦後レジーム」の外部に位置するがゆえに、そこから戦後日本の在り方全般に対する根源的な異議申し立てが起こっているのである。 かくして、「沖縄にディズニーランド」というアイディアは、唾棄すべきものであると言わざるを得ない。言ってみればそれは、沖縄返還時のスローガン、「本土並み」の戯画にほかならない。本土の日本人はディズニーランドにすっかり夢中になって大事なことは全部忘れたので、同じ手を沖縄でも使おう、つまり沖縄人を「本土並み」に愚鈍化させようという話である。「暴力としてのアメリカ」を想定外のものとする装置がディズニーランドの本質であるのだとすれば、それは確かに「夢の国」と呼ばれるにふさわしい。だが、夢の国で遊ぶためにはまず眠り込まなければならない。オスプレイをはじめ、さまざまな米軍機が低空を飛び交う沖縄では、人々がかかる眠りを貪ることなどできはしないに違いない。