かつて沖縄県豊見城市饒波地区で死者を墓まで運ぶために使われていた「龕(がん)」を市教育委員会文化課が修復し、公開中だ。土ぼこりや虫のふんで覆われ、判別できなくなっていた龕の側面に描かれたハスの花や僧侶の絵が、洗浄によって鮮やかによみがえっている。市は「葬制と地域の関わりを知る上で貴重」として1日付で有形民俗文化財に指定。12月28日まで市歴史民俗資料展示室で公開する。入場無料。(南部報道部・高崎園子)

洗浄後の僧侶の絵

修復前の龕の側面。描かれた僧侶の絵は、土ぼこりや虫のふんで判別できない状態だった

修復前の龕の側面。描かれた僧侶の絵は、土ぼこりや虫のふんで判別できない状態だった

修復された饒波の龕。長さ3メートル70センチ、高さ1メートル40センチ、幅95センチの大きさだ=豊見城市伊良波・市歴史民俗資料展示室

洗浄後の僧侶の絵 修復前の龕の側面。描かれた僧侶の絵は、土ぼこりや虫のふんで判別できない状態だった 修復前の龕の側面。描かれた僧侶の絵は、土ぼこりや虫のふんで判別できない状態だった 修復された饒波の龕。長さ3メートル70センチ、高さ1メートル40センチ、幅95センチの大きさだ=豊見城市伊良波・市歴史民俗資料展示室

 龕は故人の遺体を自宅から墓まで運ぶみこしのような形をした葬祭具で野辺送りに使われた。離島を含む県内各地でみられる。

 一般的に朱色で遺体を入れる本体は家の形。組み立て式で、普段は「龕屋」と呼ばれる保管用の小屋に納められている。地域によって絵柄などに違いが見られるという。

 市内では饒波のほか高安、我那覇、嘉数、保栄茂の五つの字が所有していた。複数の集落で共有したり、所有している集落が近隣の集落に貸し出したりしていた。戦後は火葬の普及で、徐々に役目を終えた。龕を現在も所有しているのは市内には高安地区だけで、12年に1度「龕ゴウ祭」を開いている。

 饒波の龕は戦時中に焼失。戦後の1952年に復元されたが、67年ごろを最後に使用されなくなった。龕屋の取り壊しのため、2014年に市に寄贈された。

 木材が変形、腐食するなど劣化が激しかったことから、市が一括交付金を利用して15~18年度に修復。龕に関する資料は残っておらず、同じ職人が作ったという証言を基に高安の龕を参考に、市の職員や文化財サービス沖縄営業所が修復に当たった。土ぼこりや虫のふんなどで汚れていた本体の表面を水で溶かしながら竹串や筆を使って洗浄。今後の劣化を防ぐため、樹脂などを塗布した。

 木材はチャーギが使われていたが現在では入手が困難なためヒバを代用し、崩れている部分を補強した。顔料は一部うるしの成分が出たが断定できず、新たな着色は行わなかった。図面に起こし、10分の1のレプリカも作製。

 担当した市文化課の宮城良真さんは「市内の限られた地域にしかない貴重な文化財。数十年ぶりに本来の姿を取り戻した龕を多くの人に見てもらいたい」と呼び掛けた。

 1日付で文化財に指定した「印部石」(ハル石)4基も同時に展示。展示室は伊良波の市立中央図書館1階にある。

(写図説明)洗浄後の僧侶の絵

(写図説明)修復された饒波の龕。長さ3メートル70センチ、高さ1メートル40センチ、幅95センチの大きさだ=豊見城市伊良波・同市歴史民俗資料展示室

(写図説明)修復前の龕の側面。描かれた僧侶の絵は、土ぼこりや虫のふんで判別できない状態だった