シリコンバレーに“レジェンド”といわれる日本人がいる。67歳の熊谷芳太郎氏だ。スタートアップは9割以上が失敗するといわれる中、これまで熊谷氏がに参加した6社がM&Aされたり、株式公開されたりしている。2009年には、小型ビデオカメラ「Flip video」を扱う「PURE DIGITAL(ピュアデジタル)」は、コンピューター機器を開発する「cisco」に約590億円で買収された。現在は、腕時計型歩数計のFitibit(フィットビット)を手がけている。
 ビジネスで成功する秘訣(ひけつ)、気になるFitbitの今後は?
 次世代のビジネスリーダーを育成するプロジェクト「Ryukyufrogs(琉球フロッグス)」のメンバーに、熊谷氏が答えた。
―日本の会社を半年で退社、米国へ

 法政大学を卒業して、三菱鉱業セメントに入ったものの、半年で辞めた。当時、私立大学からこの会社に入ったのは私が初めてで、周りの同期は同じ国立大学の先輩とよく会話をしていた。その姿を見て、僕がこんなところにいたらダメじゃないかと思って辞めちゃった。
 そして計画もないままジョージア州にぷらっと来たが、手持ちが千ドルしかなくて、日本に帰ることができなくなってしまった。仕方なくアルバイトを始めた。
 お金が貯まってきたので、米国の大学に行こうと思ったものの、入学するのは非常に難しい。しかも僕は英語ができなかった。ただ、日本の大学は出ていたので、3年生か4年生に学士編入することができた。その方法だと早ければ2年以内で卒業できた。そして、僕は卒業した。


 みなさん、米国には興味があると思う。米国に来られる方法としては1カ月から1年くらいの語学留学は簡単にできるが、日本の会社を通して語学留学をすると、ものすごく高いお金を取られてしまう。でも、自分で手続きすれば400ドルくらいで収まる。自分でやるといいよ。
 進学先として一番理想的なのは大学院なんだけれど、非常にお金かかるし難しい。だったら学部を卒業して働きだせばいい。大学院は働いて、30過ぎて行くのがベストだと思う。


 大学を卒業してからは、ミシン会社で働いて、その後は年商400〜500億円のカメラメーカー「Vivitar(ビビター)」という会社で社長を務めた。そこが最後のサラリーマン人生だった。


―起業の全てがうまくいった

 起業してまず最初は、カメラで人の動きを察知する商品を扱う「Gesture Tek (ジェスチャーテック)」を手がけた。
 なぜなら、それより前に、私が手助けをしていた会社が、プロジェクターで床に映し出した絵が動くというソフトを持っていた。ゲームを動かすためには、ジャイロセンサーという部品が必要。でも、ジャイロセンサーは1個500円と高かった。当時、携帯電話にはカメラがついていて、ジャイロセンサーも入っていた。これらをどうにか活用したら安い部品に変えられないかと考えた。
 すでにカメラが人の動きを見て、画像を動かすアプリがあったので、ジャイロセンサーを小さくして実験を始めたら携帯電話に使えそうだった。
 そこで、docomo(ドコモ)に持っていった。するとdocomoの端末約5200万台に入れることになった。


 2002年から携わったのが、音楽を不正に使用されない技術を開発する「Destiny Media Technologies(デスティニーメディアテクノロジーズ)」。音楽メーカーは新曲のプロモーションに6万カ所以上のラジオ局や音楽関係者にCDを送っていた。音楽をネットで配信すると盗まれてしまうことを懸念したためだ。そこで、特殊な技術を開発し、不正使用できないようにした。そして音楽メーカーのUNIVERSALやSONYなどに売った。


 2003年に立ち上げたのが、ビデオカメラを販売する「PURE DIGITAL(ピュアデジタル)」。当時、動画を撮って誰かにデータを送ることは非常に難しかった。そこで、撮影したデータをUSBに入れて、ワンクリックで送れるというiphone(アイフォン)のような形の小型ビデオカメラ「Flip video」を作ったら、爆発的に売れた。年商は約250億円、米国でのビデオカメラのシェアは60%を超えた。2009年、コンピューター機器を開発する「cisco(シスコ)」が買収しにきた。そして約590億円で会社は売れた。