沖縄県名護市田井等(たいら)区の仲尾善幸さん(93)は、18歳で海軍に志願し、1945年6月、軍艦「足柄」の乗船時にインドネシア近くで敵軍の潜水艦から魚雷の攻撃を受けた。多くの日本兵が犠牲になりながら、助かった仲尾さんは「あの忌まわしい戦は二度とやってはいけない」と自身の体験を振り返る。

「平和こそ宝」と話す仲尾善幸さん=名護市田井等

 仲尾さんは長崎県佐世保市から戦艦に乗り込んだ。インドネシア近くのバンカ海峡で敵軍の潜水艦から魚雷の攻撃を受けた。

 戦時中の皇民化教育では亡くなる前に「天皇陛下バンザイ」と言うように教えられたが、周囲の兵隊たちは誰もその言葉を言わず「お母さん、お母さん」と言いながら海に沈んだ。

 泳ぎが苦手な仲尾さんは浮いている箱にしがみつき、護衛船に救助された。救助された人の中には、両足の切れた人や全身にやけどをした人などもいたという。

 シンガポールで3年間、イギリスの捕虜になり、48年8月、沖縄に帰ってきた。

 「田井等では豊年祭が行われていて、平和をかみしめた。忌まわしい戦は二度とやってはいけない。平和こそ宝だ」と当時の心境を振り返る。

 25歳で5歳年下の秀子さんと結婚。1男9女の子宝に恵まれ、今では孫21人、ひ孫10人のおじいちゃんとして慕われる仲尾さん。「子どもたちは全国各地へ嫁いだ。孫やひ孫が集まる盆、正月は何より楽しみだよ」と目を細めた。(玉城学通信員)