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首里城の瓦は“黒”だった? 「中国人好みに捏造」は本当か 真相を探る

2019年12月16日 05:00

 首里城火災後、インターネット上で、「首里城の瓦の色は戦前は日本風の黒だった」という主張が展開されている。「黒」の証拠として掲載された戦前の正殿の写真はモノクロの画像に着色したもので根拠に薄い。瓦の研究者は、琉球では16世紀後半から中国系の灰色(黒)の瓦が焼かれていたが、17世紀末から赤瓦に移行し、灰色の瓦は19世紀初めには生産されなくなったと推定する。学術的には復元のモデルとなった時代から戦前までの首里城正殿の屋根は赤というほかなさそうだ。(社会部・城間有)

琉球大学付属図書館のウェブサイトで公開されている写真。トップページには「色は撮影後に人手で着色されたもの」と明記されている(同図書館ウェブサイトより)

◆中国人好みに捏造?

 「黒」の根拠として掲載されている資料の一つが、琉球大学付属図書館所蔵の「ブール文庫」にある「琉球国王の城」とキャプションがついた写真。この写真を掲載し「首里城は戦前の姿から中国人好みに捏造されていた」「本来の姿に再建を」などの主張がみられる。

 写真は同図書館のウェブサイトで見ることができるが、「色は撮影後に人手で着色されたものであり、実際とは異なる場合があります」と明記されている。

 同館によると写真はガラス乾板という技術で撮影されたモノクロ写真で、撮影後に屋根瓦が黒などに着色された乾板が同館に保管されている。

◆17世紀末から「赤」に

 また、瓦を研究している沖縄国際大学の上原靜教授(考古学)は、「まず、赤だから中国系、黒だから日本系、ということ自体間違い」とくぎを刺す。

 琉球王国時代に使われた瓦は、16世紀後半は灰色で17世紀末から赤と、色こそ違うが、どちらも中国系の技術で作られた明朝系瓦だという。

 その後、まき不足もあって大量の燃料を必要としない赤瓦の生産が主流となり、灰色の瓦を焼く技術が次第に廃れ、19世紀初めには生産されていなかったとみられるという。

◆戦前の職人の証言

 「赤瓦から灰色の瓦にふき替えられたという記録も伝承もなく、戦前の瓦は赤だったという職人の証言もある」とし、戦前に写真が撮られた時点も正殿の屋根は赤瓦でふかれていた、とした。

 また、正殿奥の御内原エリアで、マンガン釉(ゆう)で黒く塗った赤瓦が見つかったことから正殿の瓦が黒かったと推測する投稿に対しては、「正殿の屋根をふくには数が少ない。戦前、首里城を沖縄神社にした時、拝殿としての正殿の奥に、神殿などの黒い瓦をふいた小さな建物を造ったのではないか」と推測した。

 
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