米兵が起こした人身事故をきっかけに住民が米人車両などを焼き払った1970年12月のコザ騒動から、20日で49年を迎える。当時コザ高校の2年生で、現場を目撃した沖縄タイムス元編集局長の中根学さん(65)と会社員の照屋寛則さん(66)は「米軍への鬱積(うっせき)した住民の不満が爆発したのを高校生ながら感じた」と振り返る。(中部報道部・豊島鉄博)

1970年12月20日未明、米人車両に火を放つ群衆を撮影した写真(照屋寛則さん撮影)

49年前に撮影した場所に立ち、当時を振り返る照屋寛則さん=19日、沖縄市上地の国道330号沿い

コザ騒動が発生した現場の国道330号周辺で、当時の様子を振り返る中根学さん=18日、沖縄市内

1970年12月20日未明、米人車両に火を放つ群衆を撮影した写真(照屋寛則さん撮影) 49年前に撮影した場所に立ち、当時を振り返る照屋寛則さん=19日、沖縄市上地の国道330号沿い コザ騒動が発生した現場の国道330号周辺で、当時の様子を振り返る中根学さん=18日、沖縄市内

◆衝撃の光景

 「ダッダッダッ」。午前0時すぎ、中根さんはコザ市(現沖縄市)上地の自宅から数百メートルほどの軍道24号(現国道330号)で、米兵たちが叫びながら嘉手納基地第2ゲートに向かって必死に逃げている様子を目撃した。

 初めて見る光景に衝撃を受けた。

 現場に到着後、すでに車両は押し倒され、黒煙が立ち上っていた。中根さんも周囲の人たちと米人車両3台をひっくり返した。「抵抗はなかった。米軍が事件や事故を繰り返す状況への怒りが無意識のうちにあったと思う」

 同級生らには自身がコザ騒動に関わったことを長年話せなかった。「参加した10代の子たちはほかにもいたと思う。半世紀近くたつ中で、口を開き始める人たちも今後出てくるのではないか」と語る。

◆占領者意識

 当時コザ高校の写真部員だった照屋さんは1週間前に、たまたま買っていたフィルムをカメラに収め撮影した。

 「暴動という印象はなく、沿道で見ている人たちがほとんど。逃げる米兵を追いかけ回すこともなかった。目的は『米軍反対』のメッセージを打ち出すことだったように思う」と振り返る。

 コザ騒動から50年近く経った今も、米軍による事件や事故は後を絶たない。「占領者意識は昔から変わらない。基地がなくならない限り、コザ騒動のような動きが今後出てこないとは限らない」と語った。