「ほんとうは きおくからけしておきたいきおく」。「うごきたくてもこわくてうごけなくて、いまでもおぼえてる。あのときのかんかく」―。

普天間第二小の子どもたちがつづった感想文の一部

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属のCH53E大型輸送ヘリが宜野湾市の普天間第二小学校の運動場に窓を落下させた事故を受け、児童約640人が当時の記憶や今の気持ちを書いた自由感想文が27日までにまとまった。事故から2年にあたった13日、当時のニュース映像などを振り返る全体集会「12・13を考える日」があり、集会後に全児童が記述した。

 事故時に運動場で体育の授業を受けていたのは当時2年と4年の計54人。「すなぼこりがたって いしが3コくらいとんできた」「『ドン』と音がして、バクダンでも落ちたのかと思いました」などの証言が相次いだ。「クラスの1人が『まど べいぐんきちのやつだから ばくはつするぜ!』っていうから またびっくりした」と混乱ぶりをつづったものもあった。

 米軍機が飛ぶたび「またまどをおとそうとしているのかな」と事故を思い出す児童も。日本人と米国人の両親を持つ子どもたちもいて「自分も半分アメリカの人だから、自分もわるいのかなあと思うときが12・13です」と苦しい胸の内を打ち明ける文面もあった。(中部報道部・平島夏実)

■児童たちの感想文

 普天間第二小の子どもたちが、米軍ヘリの窓落下事故から2年の節目に書いた自由感想文を紹介する。(以下は原文通り。かっこ内は言葉を補っています)

 ■ヘリコプター(の窓)が落ちた時、本当にこんらんしていました。さらにその時、私の友達が運動場で体育していました。私は、どうしよう…ケガしていたら…ととても怖かったです。お願い無事でいて…と願うことしかできない自分を見て、初めて自分の弱さを知りました。

 ■別の小学校(宮森小)にもジェット機がおち、17人もぎせいになったときいて、わたしはこんなに生徒がぎせいになったなんて…ととても悲しくなり、とてもいかりがこみ上げてきました。他にも(沖縄国際)大学などにもおち、わたしは、よくそんなにめいわくをかけて、うちの学校にも飛行をつづけられるなと思いました。

 ■もしまたこうゆうことをしたら、もうどこにもとばないでほしいなと思いました。自分の命をうばわれないようにちゃんとひなんしようと思いました。

 ■自分たちはなれてしまっているから、いつも飛んでいる事はあまり気にしていなかったけど、校長先生が初めて来た時や他の方が来た時にびっくりしているのを見て「やっぱり自分たちの学校はふつうじゃないんだ」と思ってしまいます。2年前まではふつうな日々だったのに、なんでこんなことになったんだろうと思います。基地がとなりだから仕方ないということは分かります。でもできるかぎりふつうの生活に戻りたいです。

 ■ぼくは、おととしの12月13日の事けんのあとのよるに「こんなじけんがあったから、ヘリはとうぶんとばないだろ」と思いました。でも次の日学校に行って、グランドの上でへいきで米軍のヘリがとんでいるのを見てゆるせませんでした。

 ■米軍(基地)は、人を死なせたり、こっせつさせたり、ケガをさせていいと思っているのと思いました。米軍は、やすみ時間や放課後、下校の時間いつも運動場の上を通っているので「またまどをおとそうとしているのかな」と思いました。

 ■ヘリのてんけんをすれば、ヘリなどのまどがおちるはずないのに、なぜてんけんをしないんだろう? 本当に「そろそろ学習しろ」(っ)ていいたいです。