東京五輪レスリングで銅メダルを獲得した屋比久翔平選手。五輪は父と子の夢でした。親子の歩みを取材した「TOKYO師弟物語」を再掲します。(初掲載日 2020年1月4日)

[TOKYO師弟物語]屋比久翔平×父・保さん(下)

 レスリング日本代表として東京五輪を目指す屋比久翔平(浦添工高−日体大出、ALSOK)を、父の保さん(57)は「本当によく泣いていた。なちぶさーだった」と懐かしむ。体も小さく、同級生にも勝てなくなった中学の頃。試合後に泣いていた姿を思い出す。

 翔平が嘉数小6年の時に保さんが浦添工高に転勤。翔平は宜野湾市の自宅で着替えて同校まで走り、高校生と同じメニューをこなした。だが「小学生の時に一番小さかったやつにも身長を抜かれた。僕が一番小さかった」と、身長は150センチを超えるぐらい。力の差もあり、小学校では勝てていた相手にも負けが続いた。

 「ずっと泣いていました。負けてムカムカしてたし」と翔平。大会が終わり、他の選手がマットを片付ける傍ら、保さんにマンツーマンで指導を受けた。泣きながら100〜200本も連続でタックルをし続けた。

 翔平は「どうやったら勝てるんだろうと考えながら練習した」と振り返る。だが、保さんにとっては「小中学で終わりではなく、五輪を目指して育ててきた。慌てる必要はない」と心配無用。悔し涙を流しながら稽古にいそしんできた日々は、浦添工高3年で達成した全国4冠に結実した。

 「もう教えることは何もないな」−。保さんがそう思えた瞬間がある。2015年12月の全日本選手権決勝、まだ20歳だった翔平が、初優勝を決めた時だ。同年6月の全日本選抜では2回戦敗退。だが全日本選手権では「全部がはまった」と準決勝は選抜で敗れた清水(自衛隊)に雪辱し、決勝では世界選手権出場経験もある鶴巻(同)を破って初の栄冠に輝いた。

 保さんが初めて全日本選手権を制したのが26歳の時で「こいつすごいなと。僕を超えたなと思った」と、成長した息子の姿に驚いた。県勢として、同大会での優勝は保さん以来24年ぶり2人目の快挙だった。

 あれから4年がたった19年12月。屋比久は再び全日本選手権決勝の舞台に立っていた。4連覇が懸かった前年は、準決勝で敗れてまさかの3位。観客席で見守る保さんの脳裏には、五輪出場を絶たれた苦い経験がよぎる。「悔しい思いは二度としてほしくない」

 だが、父の心配をよそにマット上の翔平は落ち着いていた。決勝では前年敗れた櫻庭(自衛隊)に押し負けず、無失点での完勝劇。2年ぶりの優勝にも笑顔はなく、試合後の優勝インタビューでは「アジア予選で五輪出場枠を取り、東京でメダルを取る。それを目指してこれからもやっていく」と堂々と宣言した。

 世界を相手に戦ってきたからこそ、親子ともに全日本優勝は「通過点」と口をそろえた。目指す場所はさらに上の舞台。父が果たせなかった夢への軌跡はまだ続く。(我喜屋あかね)

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