父親の出稼ぎ先の大阪で生まれ、物心つかない頃、今帰仁村兼次に戻ってきた。戦時中は18歳。兼次国民学校高等科の2年生だった。放課後になると軍事教練があり、私たちは「少年団訓練」と言っていた。整列や駆け足、体操など軍人上がりの先生から指導を受けた。軍事訓練の第一歩だったと思う。