2016年に相模原市の知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件の裁判員裁判が始まった。

 公判で明らかになったのは、元施設職員の植松聖被告が「しゃべれるか」を確認しながら、刺すかどうか決めていたという身震いするような事実である。

 検察側が読み上げた園職員6人の供述調書から、話せない人を選んで襲撃していたことが判明したのだ。

 戦後最悪とされる犠牲者を出した事件の衝撃があらためてよみがえった。

 障がい者施設で働きながら、入所者と言葉によるコミュニケーションを超えた深い関係を築くことができなかったのは、人としての未熟さゆえである。にもかかわらず被告は今も「意思疎通できない障がい者は安楽死させるべきだ」との考えを変えていない。

 根深い差別意識と、事件を生んだ社会的背景にどこまで迫ることができるのかが、最大の焦点である。

 殺人罪などに問われた植松被告は、起訴内容を認め、謝罪している。弁護側は、事件当時は大麻による精神障がいの影響があり、心神喪失か心神耗弱の状態だったと無罪を主張している。

 診断が下された「自己愛性パーソナリティー障害」は人格の偏りが大きく、万能感や特権的人間との自意識を持つ特徴があるという。それでも善悪の判断はできるとされており、刑事責任能力の有無や程度も大きな争点だ。

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 今回の裁判は、重傷を負った尾野一矢さんを除いて被害者の氏名が伏せられる異例の審理となった。

 被害者保護が目的の秘匿制度に基づく対応で、亡くなった人を「甲A、甲B」、けがをした人を「乙A、乙B」などと呼ぶ。

 誰だって名前には愛着があり、そこには歩んだ人生が刻まれている。裁判で記号が用いられたことに違和感を覚えた人も少なくない。

 ただ遺族からは「日常生活を守りたい」との声が上がっており、背景に障がい者への差別、偏見が根強い社会があることも理解する必要がある。

 裁判では採用されなかったが公判直前、亡くなった19歳女性の母親が報道各社に手記を寄せ「美帆は一生懸命生きていました。証しを残したい」と名前を公表した。手紙につづられているのは、植松被告のゆがんだ障がい者観とは全く異なる、美帆さんの彩りある人生と家族の愛情だ。

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 「障がい者は不幸をつくる」という被告の身勝手な動機は、今も当事者や遺族の心に澱(おり)となって沈んでいる。

 この間国内では、旧優生保護法によって障がい者が不妊手術を強いられた実態が次々と明らかになった。「生産性」という物差しで人間をより分ける国会議員の暴論もあった。

 いずれも被告が持っていた「優生思想」とつながるものだ。

 排除の論理を乗り越えるためにも、事件の傷痕に向き合わなければならない。