阪神・淡路大震災の発生から17日で25年となった。沖縄県在住の防災士、稲垣暁さん(59)は節目の日を故郷神戸で迎え、当時逃げながら埋もれた人を助けた地域を改めて歩いた。よみがえる光景、変わらない現実、新たな課題-。稲垣さんは「震災が生んだ課題とどう向き合おうとしているのかを伝えていくことが、私たちの使命」と思いを新たにする。(社会部・榮門琴音)
鳴り響くサイレン、報道ヘリの羽音、助けを求める声、充満したガスのにおい、土ぼこり…。25年前のあの日あの時がよみがえる感じがした。同時に、「もっと助けてあげたかったのに、もっと動けたはずなのに、何しとったんやろ」と悔しさや怒りがぶり返す。
「次こそは動くんだ」。その思いが今の仕事の原点にある。社会福祉士や防災士の視点で街を歩くと、新たに生まれている課題や沖縄との相似点にもあらためて気付かされた。
兵庫県内の災害復興公営住宅では入居者の高齢化が進み、コミュニティーの維持が難しくなっている。誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」が、2019年は75人で震災後2番目の多さだったという。
かつての木造住宅から鉄筋コンクリート住宅の厚い壁に変わり、住民同士の関わりが薄れ、孤立が進む。復興住宅として指定された民間住宅の賃貸期限で退去を迫られる高齢者も多い。「25年前より今の方がはるかに弱い立場の人たちの現状が見えにくくなった」と稲垣さん。これは沖縄とも共通していると指摘する。
時折、「震災が日本昔話のように思われている空気」を感じることもあるが、「神戸で起こっていることはその他の被災地が必ずたどる道」と稲垣さんは言う。
「どうやって乗り越えてきたのか。これは人間の普遍のテーマ。体験はもとより、どう乗り越えてきたのかを伝えていくことが大事なんだと思う。災害対応のトップランナーという気持ちで、沖縄の地域社会にも伝えていかなければならない」。四半世紀を経て、そう感じている。