宮古島のヤーバリ(屋原)部落に生まれた。家族は畑でサトウキビやイモ、トウモロコシなどを育て生計を立てていた。「働かざる者食うべからず」が家の教え。毎日草刈りや井戸の水くみを手伝った。当時は鏡原小学校に通っていたが、農家の子どもが多く通う学校で、雨が降れば手伝いのために休みになったくらいだった。