1963年、国鉄総裁に就任した石田礼助氏は、国会でこう自己紹介した。「粗にして野だが、卑ではない」。少々乱暴だが、卑しいことはしない。当時の気風だろうか。官僚も米国に抵抗した

▼外務省が59年、日米地位協定の前身に当たる行政協定で保障された、米軍の特権を見直す案を作った。本紙の連載「骨抜きの主権国家」が詳しく報じている

▼基地の運用条件は、日本の合意を得る。基地を返すなら、米側が原状回復する。事件や事故があれば、日本側が基地に入る。いずれも沖縄側が求めてきた権利だ

▼なぜ、当時の政府は要求に踏み切ったのか。55年の米軍専用基地面積は沖縄11%、本土が89%を占める。群馬県では57年、主婦が米兵に射殺される事件が発生。反基地感情が高まった。官僚は世論の風向きを読む。国民の怒りを鎮める必要性を感じたのだろう

▼60年代以降、基地機能は沖縄に集中し、国民の目に触れづらくなった。いま、政府は米国に地位協定の改定を言わない。「怒っているのは沖縄だけ」。そう矮小(わいしょう)化していないか

▼59年の案は、米側が一蹴した。政治は何をしたか。岸信介政権は安保条約改定を優先し、地位協定に注力しなかった。安倍晋三首相は岸氏の孫。不平等に目をつぶり、政官が一体で米国に追従し続けるなら、石田氏が嫌った「卑」そのものだ。(吉田央)