感染拡大が止まらない新型コロナウイルスによる肺炎と同じ輸入感染症の新型インフルエンザが2009年、沖縄県内で大流行した。県の推計で当時の県民6分の1に当たる約22万人が感染、3人の犠牲者が出た。当時の経緯をひもとくと、今回につながる教訓が見えてくる。(社会部・篠原知恵)

2009年の新型インフルエンザ流行時の対応を振り返る県の糸数公保健衛生統括監=29日、県庁

新型コロナウイルス関連肺炎拡大防止でできること

沖縄から事実上流行した新型インフルエンザの経緯

2009年の新型インフルエンザ流行時の対応を振り返る県の糸数公保健衛生統括監=29日、県庁 新型コロナウイルス関連肺炎拡大防止でできること 沖縄から事実上流行した新型インフルエンザの経緯

 メキシコと米国で09年4月に初めて感染が確認され「高い死亡率」と恐れられた新型インフルエンザ。翌月16日に兵庫県で国内初の感染事例が確認され、それから1カ月以上経た6月29日に初めて沖縄県内で1人目の感染者が出た。

■出足は遅いが

 感染確認は47都道府県の中で44番目。その後、全国で例を見ない速さで広がり7月後半になると全県規模に拡大した。新型か、従来の季節性インフルエンザかを調べる検査も追い付かない状況。8月中旬には全国で、県内4保健所だけが流行警報を発令した。

 新型インフルエンザの感染経路は、新型コロナウイルス同様、飛沫(ひまつ)感染と接触感染がメイン。後の疫学調査によれば当時、感染が広がった場はビーチパーティーやエイサーの練習、居酒屋、カラオケ、合唱コンクール、子どもたちのスポーツ試合だった。当時、県の感染症班班長だった県保健医療部の糸数公保健衛生統括監は「大人数で集まる機会が多く、体調を多少無理しても集まりに参加する県民の特性が出たのでは」と分析する。

■救急がパンク

 感染者の多くは軽症で回復し、重症化するのはごく一部だった。にもかかわらず発生当初の「致死率が高い」との報道も影響し、感染拡大に合わせ県民の不安は高まり続けた。

 多くの医療機関が休診する週末の救急外来には、軽症者を含む200~300人が殺到。電話相談窓口もパンク寸前になり、救急医療を圧迫した。県は医師会や看護協会と連携し、救急病院への応援医師派遣や他医療機関での時間外診療拡大などの策を講じたが、医療現場は大混乱した。

 当時の関係者が口々に言うのは、1例ずつ感染を数える発生初期段階から、感染者があふれる中でハイリスクの患者を確実に守る段階へのギアチェンジが、行政、医療現場、メディア、県民の間でうまくできなかった-という反省だ。

 いつしか生まれた合言葉は「救急医療をつぶさない」。糸数統括監は「当時と似て、新型コロナウイルスも初期より重症化率は減るだろうとみている。軽症者が多いパンデミックが発生したとき医療体制をどう維持するか。09年の教訓を生かしたい」と語った。