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「私だけおばあちゃんになって…」折り重なる白骨化した遺体、悪夢の夏 母と姉にわびる日々

2020年2月6日 05:55

[戦世生きて くらしの記録](4)武村豊さん(下)

唯一手元に残る家族写真。県立第二高等女学校に入学する1941年ごろの(前列右から)武村豊さん、母カメさん、三女の文さん(武村豊さん提供)

 毎日、同じ夢ばかりを見ていた。

 日本が敗戦を認めた1945年の夏。16歳の武村豊(とよ)さんは、荒廃した街で親類や知人宅を転々としていた。

 夢に出てくるのは母カメさんと、姉の文さん。「やっと見つけた。夢じゃないよね」。そう言い合って抱き合う。その繰り返し。

 「あなたのお母さんの最期を知っている」。母の知人だという女性からそう声を掛けられたのも、そのころのことだった。

 女性の記憶を頼りに、母と姉がいたという糸満へ向かった。

◆「とよが来たよ」

 糸洲にある屋敷跡。塀の陰に身を潜めるように、たくさんの遺体が折り重なっていた。白骨化し、強い日差しに照らされている。

 「豊が来たよ」「そこにいるなら教えて。ズボンの裾を引っ張って」

 そう声を掛けても、辺りは静まり返ったままだった。小さな石を二つ持ち帰ることしかできなかった。

 「10・10空襲」と呼ばれることになる44年10月の大空襲は、自宅も、通っていた県立第二高等女学校(二高女)も焼き尽くした。翌年3月、米軍が慶良間諸島に上陸する直前、武村さんは看護を担う女子学徒隊として戦場に送り出された。

 

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