[戦世生きて くらしの記録](7)うるま市出身 横田チヨ子さん(上)
〈右者本學年間皆勤セリ依リテ之ヲ賞ス〉
〈操行善良學業優等ナルヲ以テ茲ニ之ヲ賞ス〉
休まず学校に通い、良い成績を収めたと褒めたたえる戦前の賞状。持ち主の横田チヨ子さん(91)=宜野湾市=は戦火を免れた18枚をクリアファイルにつづり、今も大切に保管している。
◆少女時代の宝物
「でぃきやー(秀才)といわれるのは嫌い」だが、好奇心旺盛で勉強好きだった。所々破れ、色あせた賞状は、沖縄から遠く離れた地で過ごした少女時代の「宝物」だ。
旧具志川村(現うるま市)生まれ。3歳の頃、日本の委任統治領だった旧南洋群島のサイパンに渡った。第1次世界大戦後の不況で、沖縄が経済難に陥った時代。兵役義務が猶予され、気候風土も似た南洋で、多くの県民が一旗揚げようとした。
大工だった横田さんの父もその一人。のこぎりなど工具を詰め込んだ木箱を手に汗水流し、稼ぎを得た。家で豚やニワトリを飼い、菜園にはスイカも実った。海ではサザエや魚がたくさん取れて「食べ物には困らない生活」だった。
学校はサイパン東部のチャッチャ国民学校。初等科高学年の頃、放課後に学校近くの商店で、あめ玉やまんじゅうをよく買った。
「まんじゅうは唾を入れて作っている」。そんなうそで買い食いをやめさせようとする先生もいた。