[9年 東日本大震災]

誰もいない商店街を見つめる原田雄一さん。「原田時計店」もここにあった=2月29日、福島県浪江町

市街地へ続く国道114号線からは、汚染土が入ったフレコンバッグの山が目に入る

誰もいない商店街を見つめる原田雄一さん。「原田時計店」もここにあった=2月29日、福島県浪江町 市街地へ続く国道114号線からは、汚染土が入ったフレコンバッグの山が目に入る

 9年前の東京電力福島第1原発事故が起きるまで田んぼだった土地には、大人の背丈ほどに伸びたセイダカアワダチソウが繁茂し、人が住んでいた民家の前にはバリケードが設置されている。3年前に一部地域で避難指示が解除された福島県浪江町。帰還住民は事故前の約6%にとどまる。2月末、汚染土が入った山積みのフレコンバッグを横に見ながら、二本松市から国道114号を通って浪江町に入った。(社会部・西倉悟朗)

 帰還困難区域入り口の検問所で測定すると、放射線量は1・228マイクロシーベルトを示した。国が設定する被ばく限度である毎時0・23マイクロシーベルトの約5倍。市街地から少し離れた場所にある大柿ダムは貴重な農業用水をもたらしていたが、今は底の泥が放射能に汚染され利用できない。

 「昔よく遊んだ川にも入れないんです」。案内してくれた前商工会長の原田雄一さん(70)は嘆く。大雨が降るとダムの底の泥がかき混ぜられ、放射性物質が川に流れ出す。

 市街地には、近代的な造りの町役場や、県外流通大手のスーパーが建つ。買い物客の女性(65)は「便利になった。それまでは隣町まで買いに行ってたんですよ」とうれしそうだ。

 だが、原田さんら商工会のメンバーが中心となってオープンした役場隣の仮設商店街は、土曜午前にもかかわらず客の姿はない。現在10店舗が入居しているが、週に1~2度しか営業しない店がほとんど。「地元の人たちで故郷を盛り上げようとつくった場所ですが、大手スーパーができてからお客さんは来なくなりました」と漏らす。

 役場から徒歩10分ほどの場所には、なみえ創成小・中学校が2018年4月に開校した。真新しい校舎ときれいに整備された人工芝のグラウンド。現在町内の唯一の学校だが、通うのは小中学生合わせて19人。近くに住む男性(85)は「前はにぎやかだったよ。今じゃ子どもの声も聞こえない」と寂しそうだ。

 その一方、原田さんが通った町中心部の浪江小学校は取り壊される。「場所も良くてまだまだ使えるのに。新しいものばかりができて…」。様変わりする故郷に、複雑な思いを抱く。

 原田さんは今、避難先の二本松市で原田時計店を再開している。帰り道に寄ると、店番をしていた妻のアキイさん(67)を、福島市に避難している幼なじみの渡邉由希子さん(67)が訪ねていた。以前はよく旅行したといい、「沖縄にも行ったねえ。大雨だったけど楽しかった」と昔話に花が咲く。互いに避難を余儀なくされてからは、集まるのも難しくなった。

 「思い出の場所がどんどん取り壊されちゃってね」と言うアキイさんに、由希子さんは「全然違う町みたいで、戻ろうとも思えないよね」。明るい口調とは裏腹に、声は少し震えていた。

 「『復興の加速化』と言うけど、本当の復興って何でしょうねえ」。原田さんには、国が掲げる「復興」という言葉が空疎に聞こえる。今後も、別の場所で生きていこうと思っている。