東京五輪の聖火が20日、ギリシャから日本へ到着した。浦添市の宮城勇さん(77)は1964年の東京五輪聖火リレーの第1走者で、今年も聖火ランナーを務める。64年に本土からの支援を受けて交流した採火役のアレカ・カッツェリさんの言葉を振り返り「新型コロナウイルスという難局を迎えているが聖火の根源には困難への祈りがある。聖火が世の中を明るく照らすはず」と希望を込めた。(浦添西原担当・宮里美紀)

1964年の東京五輪聖火リレーの第1走者を務めた宮城勇さん。当時のユニホームとトーチを手に思い出を語る=19日、浦添市屋富祖の自宅

宮城勇さんの東京五輪での競技観戦を伝える沖縄タイムスの紙面(1964年10月18日付)

宮城勇さんの東京五輪の話題を伝える沖縄タイムスの紙面(1964年10月14日付)

1964年の東京五輪聖火リレーの第1走者を務めた宮城勇さん。当時のユニホームとトーチを手に思い出を語る=19日、浦添市屋富祖の自宅 宮城勇さんの東京五輪での競技観戦を伝える沖縄タイムスの紙面(1964年10月18日付) 宮城勇さんの東京五輪の話題を伝える沖縄タイムスの紙面(1964年10月14日付)

 64年の東京五輪は沖縄がまだ日本に復帰していない時期。琉球大学教育学部4年生だった宮城さんは聖火リレーの第1走者を務めた。当時の本紙では「復帰を聖火に託して走った沖縄青年」と紹介されている。

 本土へ行くにはパスポートが必要だった時代。宮城さんに五輪を観戦してほしいと、大阪や京都の市民からは資金やチケットの支援が寄せられた。特に、沖縄好きだったという映画会社「日活」専務の妻の江守喜久子さんらは東京で宮城さんを大歓迎。江守さん宅に泊めてもらったほか、映画のチケットももらった。

 関係者の尽力により、ギリシャのオリンピアで聖火を採火したカッツェリさんや聖火リレー最終走者の坂井義則さんとも対面し、陸上競技を観戦した。その際にカッツェリさんから「採火する時は、平和の祭典を明るく照らしたまえと平和を祈る」と教えてもらったという。

 宮城さんは「東京五輪も観戦でき、カッツェリさんや坂井さんとも会えて感無量。通訳もいたが、緊張であまり話せなかった」と振り返る。当時、走ったのは1・7キロ。「この短い距離で人生が大きく変わった。貴重な経験をさせてもらった感謝の思いが今も燃え続けている」と感慨深げだ。

 5月3日には、ふたたびトーチに聖火をともし生まれ育った浦添市内を走る。「身に余る光栄、幸運だ」と喜びをかみしめている。