75年前の3月26日に、米軍が上陸した沖縄県座間味村で「集団自決(強制集団死)」を体験した元小学校校長の宮城恒彦さん(86)=豊見城市=は、村の沖縄戦記憶継承のデジタル化事業に携わっている。自身も約40人の戦争体験を聞き取った「記録者」。体験者が年々減っていく中、形に残すことの大切さを強調する。(社会部・新垣卓也)

自身の体験を語る宮城恒彦さん。座間味で起きた悲劇は「軍国主義が招いた結果だ」と憤る=17日、豊見城市

 1945年3月26日、当時11歳だった宮城さんは、母やきょうだいと内川山の壕にいた。U字型の壕内には20人ほどが避難していた。宮城さんは母の右手に抱えられるように座り、17歳だった姉ハルさんらは少し離れた所にいた。上陸した米軍がすぐそこまで迫っていた。

 「バーンッ」。誰かが手りゅう弾を破裂させた。暗闇の中、一瞬何が起きたか分からなかったが、ハルさんが腹を割かれ、命を落とした。「生きて虜囚の辱めを受けず」という徹底した軍国主義が招いた悲劇だったと、宮城さんは憤る。

 88年ごろ、姉を壕に残したことを悔やんでいた母が亡くなったのをきっかけに、戦争体験者の話をまとめ始めた。自費で作った証言集は28冊に上る。今回の村事業では、そのうち10冊ほどがデジタル化される予定だ。

 戦後75年。過去に証言を聞いた体験者の9割が亡くなったという。「島のことを語れる人がほとんどいない中で、子どもたちのためにも戦のむごたらしさを記録することは何よりも大切だ」

 新型コロナウイルスの影響で27日に予定されていた村の慰霊祭式典は中止になった。宮城さんは「集団自決」の事実を知ってもらおうと、証言集約150部を村内の小学校などに贈った。

 惨状を目撃した「集団自決」の話をするのは「今でも気が重い」という。それでも、体験者として戦後世代に記憶を伝え、残す責任を感じている。「戦争という負の遺産の記録が、これからの『語り部』になる」