■SNSの衝撃

 社会学者として著名な首都大学東京の宮台真司氏が、著書『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)で印象的なことを書いている。ここ5、6年間くらいの傾向として、沖縄県出身の学生が「沖縄が嫌い」だと言い出していると言うのだ。ウチナーンチュは総じて沖縄が大好き。本土で生活していても、いつかは沖縄に帰って沖縄のために力を尽くしたいと思っているのが「定番」だったはずだ。これはいったいどう解釈するべきなのだろう?

 興味深いことに、福島県出身の学生も、同じ時期から、やはり「福島が嫌いだ」といいはじめたそうだ。6年前だから311よりも以前からの傾向だ。そうだとすると、2010年頃を境にした、より広範囲な現象である可能性がある。

 意外に思ったので、私も、本土で生活する若手ウチナーンチュに会うたびにこの質問をするのだが、確かに総じてそのような傾向があるような印象を受ける。いったい6年前、つまり2010年頃に何があったのだろうか。先日ジャーナリストの津田大介くんにこの話を投げかけたときに、重要な指摘を頂いた。2010年はソーシャルネットワーク元年に当たるのだと言う。

 2010年頃を境に、スマートフォンが普及して第2次ツイッターブームが起き、映画『ソーシャルネットワーク』がヒットしてフェイスブックに火がついた。ほぼ時を同じくして、全国的に新聞の発行部数が急減し始める。2011年の東北大震災の被災地では電話の代わりにツイッターが大活躍し、LINEがリリースされたのもこの年だ。

 世界でも2010年チュニジアのジャスミン革命をきっかけに、アラブ世界に広まった前例のない反政府デモでツイッターやフェイスブックが重要な役割を果たし、チュニジアのベン=アリー政権、エジプトのムバラク政権、リビアのカダフィ政権などが打倒された。ソーシャルネットワークが現実社会を動かし、政権を覆す力があることが証明された。

■ウチナーンチュが自由になる!

 SNS元年以降、沖縄社会に第二の変化が生じ始めている。ウチナーンチュが自由になりはじめているのだ。この変化は沖縄の消費性向を、ひいては沖縄経済の基本構造を大きく変えるかもしれない。

 前出の「沖縄から基地がなくならない本当の理由」は、2014年12月14日にインターネットで配信して以来ソーシャルネットワークを中心に拡散し、これまでに少なくとも10数万人に読まれている。出版社の力を借りずに、1万字を超えるノーカットの論考をこれだけ広範囲の人たちに伝播するようなメディアインフラは、わずか6年前には事実上存在しなかった。この記事以前には、沖縄県内の貧困、格差問題が公の場で語られることはあまりなかったと思う。「沖縄内部に問題が存在する」という論調は沖縄ではタブーに近いからだ。それが、1年半経った今では沖縄の大手メディアが毎日のように取り上げるようになっている。これは偶然だろうか?

 従来のメディアや県政が伝える沖縄社会、経済に関する論調は、多様性を欠いていたと言えるだろう。ところが2010年以降、それまでほとんど公には語られることがなかった沖縄社会の複雑で多様な現実や、新たな視点の数々が、インターネットを中心としたソーシャルネットワークメディアによって県内外に伝わり始めている。ネットの世界は玉石混交と言われるが、情報の正確性以前に、「選択肢は一つではない」という当たり前の真実が伝わるだけで、十分に影響力を持ち得るのだ。

 自由な生き方が可能だという事実が不可逆的に社会に広まれば、抑圧的な環境で労働者を働かせることも、顧客を縛ることも不可能になる。自分のキャリアは自分で切り開くという当たり前の選択ができるようになり、しがらみによって商品を選ぶのではなく、純粋に良いもの、好きなものが選ばれるようになる。私の感覚では、確かにここ6年くらいの間で消費性向がずいぶん自由になり、鉄壁だったはずの沖縄市場への参入障壁がどんどん崩れかけている印象を受ける。

 例えば、10年前にはほとんど見かけなかったラーメン屋、焼き鳥屋が街に溢れ、本土出身者が経営する洒落たカフェやパン屋さんやスイーツ店が沖縄の消費者に支持され始めているように見える。昨年県外の地銀としては戦後初めて沖縄支店を開設した鹿児島銀行は、低金利の住宅ローンで人気を集めていると報じられているが、10年前に進出していたらここまで受け入れられていただろうか?

 一昨年、沖縄観光連盟が実施した「大学生の泡盛に関する意識調査」によると、最も好きなアルコールの1位は焼酎だった。泡盛の人気はビールや酎ハイ、カクテルよりも低く、泡盛を「ほとんど飲まない」学生が全体の65%を占めていることが分かった。飲まない理由は「泡盛がおいしくない」が最多だ。逆に、泡盛を飲む理由の第一は「付き合い」だ。人間関係のバランスを取るために泡盛が飲まれているが、わざわざ自分で買ってまでは、という感覚だろう(2015年3月1日琉球新報デジタル版)

 少し前までは、例えば久米島出身者が久米島の久米仙をキープしないのは、どこかしら地元に対する裏切りのニュアンスがあったように思う。ところがやはりここ5、6年の傾向として、泡盛の代わりに焼酎を飲むウチナーンチュが増えている。理由を聞くと「おいしいから」だという。逆に考えると、今まではおいしいと感じていなくても、泡盛を飲まなければ不都合のようなものがあったのだろう。その感覚が消え始めている。

 これらの現象は、沖縄社会が少しずつ自由になり始めているという意味ではないだろうか。

■ウチナーンチュの選択

 沖縄企業の売上が減り、参入障壁が崩れ、独占形態に風穴が開き、沖縄市場はグローバル企業の草刈り場になる可能性がある。実際、バブル期以降に参入障壁が崩れた沖縄以外の日本の地方都市は、東京本社の企業にすっかり席巻されてしまっている。沖縄は、本土復帰が終戦から27年間遅れたために、この変化が遅れているだけなのかも知れない。

 今まで現状維持を重視してきた沖縄だが、今度ばかりは良くも悪くも、変わらざるを得ないかもしれない。だからと言って、そもそも本土経済のやり方では、人が疲弊しすぎ、雇用は不安定になり、長時間の滅私奉公で家族も共同体も維持することは難しく、人生を楽しむことを許さない。

 人間味に薄い本土的な競争経済からほんとうの沖縄らしさを守るのは、ウチナーンチュ自身の選択にかかっている。(つづく)

(※注1)何度も申し上げるが、本論は仮説である。しかしながら、「沖縄から貧困がなくならない本当の理由(3)低所得の構造」がSNSを通じてここまで広範囲に拡散しているのは、そこに一定の真実が含まれているからだと思う。多くは私たちにとって耳に痛いことだが、問題の根源的な治癒を望むのであれば、このような議論を避けて通ることはできないと思う。

(※注2)根源的な原因を特定しない状態でなされるすべての「問題解決」は対症療法に過ぎない。対症療法には副作用が伴い、長い目で見ると社会問題を却って増幅させてしまう。対症療法を超える問題解決の道筋を模索するためには、沖縄の貧困問題の根源的な原因をどうしても特定しなければならないのだ。