地方大会の初戦にもかかわらず、約5千人が詰めかけた球場は熱気に満ちていた。2018年の全国高校野球選手権沖縄大会。大会随一の注目カードとなった沖縄尚学と沖縄水産の1回戦は四回に打者11人で6得点し、8―4で九回裏、最後の守りを迎えた。

 「春は後悔しただろ。同じことは繰り返したくないだろ」とは、主将で捕手の池間大智の言葉だ。九回からマウンドに上がった長身右腕の元悠次郎はストライクが入らず、先頭を四球で歩かせた。すぐにマウンドへ駆け寄った池間は、逆転負けした春季大会を引き合いに、「喝を入れたかった」と元を鼓舞した。  

ピンチでは積極的にマウンドに向かい、仲間に声を掛ける。最後の夏は沖縄大会準々決勝で涙をのんだ=2018年7月16日、コザしんきんスタジアムスタジアム

◇「キャプテンでチーム変わる」胸に

 マウンド上で池間から声を掛けられた元はその後は1安打も許さない好投だった。最後は当たっていた6番打者を空振り三振とし、試合を締めくくった。

 この回から元を登板させたのは比嘉公也監督ではなく、池間の判断によるもの。「最終判断は自分。捕手としての役割だと思う」。沖水は左打者が多く、八回まで投げた2投手は左投げ。加えて沖水は九回はクリーンナップから始まり、特に6番打者には3安打を浴びていた。ここで右投げの元が登板すると、変化が生まれる。そして「元にもここで殻を破ってほしかった」との思いがあった。

 当時比嘉監督は池間を「ここ数年では一番いいキャプテン」と評した。練習や私生活を通じ「良かった点、何が悪かったのか、どうしたらいいのか」と自ら考案した「主将ノート」を毎日したため、選手間のミーティングではそのノートを手に、時には同級生にも厳しい言葉で接した。指揮官から掛けられた「キャプテンでチームは変わる」の言葉は今も胸にある。

◇捕手一筋 名将・野村克也さんの本読み勉強

 野球を始めた小学1年生の頃から捕手一筋。投手志望も球が速すぎて捕球できる選手がおらず、指導者から「池間がキャッチャー」と言われたことがきっかけだ。投手や三塁手、遊撃手も経験したが「一人だけ違う方向を向き、他とは違うポジション。ゲームをつくり、試合を支配できる」と魅力にはまった。

潮平小6年生の時、学童野球チーム「パークタウン」で捕手兼リリーフエースとしてチームを優勝に導いた=2012年7月23日、瀬長島球場

 沖尚では2年からスタメンマスクを被った。「何かあったらすぐマウンドに行ってしまっていた」当初は比嘉監督から「なんでいまのタイミング?」と指摘され、「お前のリードでピッチャーの良さを殺している」と言われたことも。

 掛けられた厳しい言葉も「何でだろうと考え、比嘉先生にも聞きながら自分で勉強した」と自身の成長につなげた。名将・野村克也さんが書いた本なども読み「投手優先、打者優先、状況判断の三つがある」という配球論を身につけた。

◇信頼されるキャッチャーに 「どんなときもひたむきに努力」

 甲子園出場はならなかったものの沖尚を卒業後は九州産業大に進学。150人以上の大所帯で、捕手は甲子園経験者ばかりと「最初は自信をなくしました」。それでも秋にはメンバー入りしてマスクを被り、昨年ドラフトで楽天入りした福森耀真ともバッテリーを組み、神宮大会にも先発出場した。

 1年から正捕手に起用された理由を「技量では勝てないけど、コミュニケーション能力には自信はある」と推察する。「信頼されるキャッチャーに」と個々の投手の性格に合わせた声掛けは、高校時代と変わらない。高校入学から毎日書きためてきた「野球ノート」は今も続けている。1日6食で増えた8㌔の体重はほとんどが筋肉量によるもので、社会人と対戦した3月のオープン戦では「最近ホームランも打ちました」と少し誇らしげに笑った。  

大学1年生ながら、秋のリーグ戦では九州産業大学の正捕手となり、神宮大会も経験した=2019年(提供)

 新型コロナウイルスの影響でリーグ戦の開幕も見通せないが、池間の目標はぶれることがない。「支えてくれた小中高の指導者に恩返しをしたい。『頑張っているね』って言葉をもらえるように。謙虚さを一番大事に、どんなときでもひたむきに努力するだけです」

記事・我喜屋あかね、スライド制作・比嘉桃乃、デザイン・新垣怜奈