「4・28」から「5・15」、そして「6・23」と沖縄にとって忘れてはならない日が続く。

 戦争と平和について考える大事な季節だが、新型コロナウイルスの影響で、行事の中止や縮小を余儀なくされている。

 復帰から48年。5月15日に合わせて米軍基地や戦跡を歩く「平和行進」が、開催以来初めて中止となった。

 沖縄戦から75年。玉城デニー知事は、6月23日の慰霊の日の「沖縄全戦没者追悼式」の縮小を発表した。

 遺族会の平和行進も、各地の慰霊祭も取りやめを決めたところが多い。

 さらに平和学習の拠点である県平和祈念資料館、ひめゆり平和祈念資料館なども休館が長引いている。

 琉球政府立法院が「戦没者の霊を慰め、平和を祈念する日」として慰霊の日を制定したのは1961年のこと。復帰にあたりいくつかの独自の公休日が廃止される中、慰霊の日の休日は引き継がれた。

 地方自治法の改正で89年に休日廃止の動きが出た際、存続に向けて大きな力となったのは県民世論である。戦争の記憶を継承し不戦を誓う日だと声を上げたのだ。

 今年は遺族にとっては寂しい節目となるが、多くの人が集まる場は感染リスクが高く、やむを得ない面もある。

 しかし激しい地上戦があり、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄で、慰霊の日が特別な日であることに変わりはない。

 制約はあっても、感染対策を講じた上、できることがあるはずだ。

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 沖縄の戦後は、戦死者の遺骨収集から始まった。

 野ざらしになった遺骨を納めるため、戦争が終わった翌年に建立されたのが糸満市米須の「魂魄の塔」。いつもの慰霊の日なら一日中、香煙が絶えることはない。

 県によると、今年の全戦没者追悼式は、玉城知事ら代表十数人が、会場も平和祈念公園内の国立沖縄戦没者墓苑に移し執り行う。一般県民には「それぞれの場所で戦没者を追悼してほしい」と呼び掛けている。

 魂魄の塔に安置されていた遺骨のほとんどは戦没者墓苑に移されているが、肉親がどこで亡くなったか分からない遺族の多くが毎年この塔を訪れるのは、沖縄の戦後の原点ともいえるからだ。

 玉城知事には追悼式の前に「沖縄の慰霊塔」ともいえる魂魄の塔を訪れ、県民代表として手を合わせてほしい。

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 沖縄戦は「過ぎ去った過去」の話ではなく、「今につながる過去」であり、「未来を照らす過去」である。

 沖縄戦の記憶が沖縄社会から忘れ去られていけば、沖縄はもはや沖縄でなくなる。

 当事者が高齢化していく中、壮絶な体験や平和への思いを聞く機会は急激に減っている。だからこそ逆に重要性は増す。

 資料館が持つ証言ビデオの活用やオンラインで体験者と語り合うなど新たな方策を模索すべきだ。

 コロナ禍にあって記憶を引き継ぐ意味を再確認したい。