記者が見た あの勝負

元暴走族、どん底から王者に 「ボクサーは挫折しないと強くならない」[記者が見た あの勝負]

2020年5月19日 05:00

【2002年5月18日 ボクシング東洋太平洋王座 仲里繁の挑戦】

仲里繁の勝利を伝える2002年5月19日付沖縄タイムスのスポーツ面

磯野直

仲里繁の勝利を伝える2002年5月19日付沖縄タイムスのスポーツ面 磯野直

 ごつごつした左フックを初めて見た時、仲里繁が沖縄出身8人目の世界チャンピオンになると勝手に思い込んだ。彼が1996年度全日本バンタム級新人王になると、運動部には「仲里番」ができた。入社3年目だった写真部員の私は番記者とタッグを組み、夢を追い掛けた。

 宜野湾市出身で元暴走族の仲里は仕事のストレス解消のため、22歳で沖縄ワールドリングに入門し、ボクシングを始めた。不器用で武骨、小細工なしの真っ向勝負。大振りの悪い癖も、一発当てれば勝利が転がり込んできた。連勝街道をひた走り、聖地・後楽園ホールでも人気が高まる。この頃は「ボクシングは負けちゃいけないスポーツ」が口癖だった。

■初めての挫折

 だが上には上がある。98年10月、一気に世界ランキング入りを狙ったフィリピンの技巧派、ジェス・マーカとの一戦で10回判定負け。空振りして体が流れたところをこつこつ当てられてポイントを奪われ、なすすべなく敗れ去った。

 この敗戦を機に、仲里は口を閉ざすようになる。落ち込む姿に、ジムの先輩で世界戦に2度敗れても現役を続ける平仲信敏はいら立ちを隠さなかった。「負けて覚えるんだよ。たった1敗でくよくよするな」

 後に世界王者となる西岡利晃の日本王座に挑むも失敗。その後も続く難敵との対戦に黒星が増えた。私も写真部からペン記者として北部編集部に異動し、仲里の取材を離れた。

■兄貴分が急逝

 2000年3月、兄貴分の平仲が突然の交通事故でこの世を去る。31歳だった。半年後、2度目の日本王座挑戦を前に今帰仁村でキャンプを張る仲里と久々に再会した。口下手だからあまり話さないだろうと思いつつ「信敏のこと、思い出すことはある?」と聞くと、熱のこもった言葉が返ってきた。

 「いつでも思い出してるよ。俺が頑張れば天国からきっと応援してくれるはず。信敏さんのためにもベルトを取りたいね」

 2度目の日本王座戦に敗れたものの、01年は4連続KO勝ちでタイトル戦線に生き残る。そして02年5月18日、東洋太平洋スーパーバンタム級王者に挑むことが決まった。

 すでに運動部を離れた2人の歴代担当記者と休みを取り、決戦の地・さいたまスーパーアリーナに向かう。客席で応援しようとしたら中真茂会長に大量のフィルムを渡され「リングサイドで撮ってくれ」と頼まれた。望むところだった。

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