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「仕方ないっすよね…」コロナに奪われた“約束の場所” 甲子園で恩返しをしたかった

2020年5月21日 10:02

 小学生の時から「甲子園で恩返しするから。テレビで見といてね」が口癖だった。美里工業エースの與古田美月はきつい練習も、ストライクが入らなくて落ち込んだ時も、甲子園という目標があったからここまで野球を続けてこられた。最後の夏に飛び込んできた「夏の甲子園は中止」のニュース。簡単に受け止められるはずがなかった。

甲子園開催を信じ、自主練習に励んできた美里工の與古田美月。約1週間前からマウンドでの投球を始めたばかりだった=19日、恩納村恩納

■夢見た場所

 保育園の時、四つ上の兄の影響で野球を始めた。小学2年だった2010年の興南の春夏連覇はよく覚えている。同じ左腕の島袋洋奨のトルネード投法をまねた。「全然投げられなかった」と笑うが、甲子園にまつわる最も古い思い出だ。

 14年、聖地が急に身近な場所になった。美里工がセンバツに出場し、地元の先輩が先制打を放って一躍村のヒーローになった。「恩納村のいろんな所に横断幕が張られていた。かっこいい」。ストライプのユニホームが輝いて見えた。

 6年後の今、憧れたチームのエースナンバーを背負っている。だが、甲子園のマウンドに立つことはできなくなった。

■複雑な思い

 「お父が甲子園に行く時は、お前が甲子園に行く時な」。東京に単身赴任する父と交わした約束を思い出すと、こらえていた涙がこぼれ落ちた。與古田にとって、甲子園はこれまで支えてくれた人たちとの「約束の場所」だった。

 「開催は厳しいのかなと覚悟は決めていた」と気丈に振る舞う一方で、「仕方ないっすよね、悲しいっすよね、行きたかったすよね、本当に…」と複雑な思いが口を突く。自問自答してみても、自分の本心がよく分からない。

 それでも「このまま気持ちが落ちていくだけじゃ駄目だ」と自らに言い聞かせる。引退が決まったわけではない。県大会の開催を信じているし、優勝はもちろん、高校入学後、初めて完投する目標も残っている。

「悲しむなら悲しむで、あと少しだけ自分の気持ちをかみしめたい」。うそをつかず、自分としっかり向き合うつもりだ。(我喜屋あかね)
 

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