
沖縄の「お家芸」重量挙げ。リオデジャネイロに続いて東京五輪出場を目指す男子61キロ級の糸数陽一(豊見城高―日大出、警視庁)は、10年以上もの間、日本のトップを走り続けている。
◇学生の頃から培ってきた”パフォーマンス精神”
豊見城高時代は1年生だった2008年3月、初の全国大会となった選抜で旧階級の56キロ級でトータルを制した。62キロ級と合わせて選抜、総体、国体で計6冠を達成。大学生を交えた大会でも優勝し、世界の舞台も経験した。このころから既に「応援してくれる人たちのために、最高のパフォーマンスを見せたい」との強い思いがあった。

日大進学後も勢いは止まらない。国体では沖縄の総合優勝のために1階級上げ、制限体重に全然届かない軽い体のまま出場してもトータルで優勝するなど、結果を残してきた。3年生の時にジャーク166キロを挙げ、62キロ級の日本記録を樹立した。
◇気持ちは「沖縄代表」
卒業後は練習環境の整った警視庁に進んだ。国体には東京代表として国体に出場しているため、沖縄の得点には貢献できない。それでも、18年にトータルで4連覇を果たした時の「五輪のために選んだ道。気持ちは沖縄代表として戦っている」との言葉は、ほぼ毎回のように口にする。
度重なるけがに悩まされながらも、日大時代を合わせて全日本選手権で5度の優勝、17年の世界選手権で銀メダルと、国内で圧倒的な強さを誇る。現在の61キロ級でスナッチ135キロ、ジャーク164キロ、トータル298キロのいずれも日本記録に名を刻んでいる。

160センチの小さな体に目いっぱいの筋肉を詰め込んだ29歳は、「五輪の悔しさは五輪でしか晴らせない」。東京五輪では、3キロ及ばず4位だったリオよりもさらに上、メダル獲得で故郷に恩返しするつもりだ。
記事・當山学、スライド制作・比嘉桃乃、デザイン・新垣怜奈