戦世生きて くらしの記録

ラッパ吹く勇ましい日本兵に憧れ 実情は暴力と一体 初年兵は上官に「恐ろしいほど殴られていた」 

2020年5月27日 14:30

[戦世生きて くらしの記録](27)本部町出身 根路銘国文さん(上) 

戦世生きて_イラスト

「10・10空襲」前に米軍が空から撮影した本部町の写真を見ながら、学校や家の場所を説明する根路銘国文さん。「米軍はどこに何があるか全部知っていたんだろう」=本部町谷茶

戦世生きて_イラスト 「10・10空襲」前に米軍が空から撮影した本部町の写真を見ながら、学校や家の場所を説明する根路銘国文さん。「米軍はどこに何があるか全部知っていたんだろう」=本部町谷茶

〓東の空に夜が明けた~ 早く起きないと 遅くなる~

 1944年、本部町。根路銘商店の三男、根路銘国文さん(83)=当時8歳=の一日は、この歌で始まった。毎朝6時半ごろ、店舗兼自宅の向かいにあった本部国民学校から響くラッパ音に合わせて口ずさんだ。ラッパを吹いているのは、日本兵だった。

 ある日、根路銘さんが家にいると、「ザックザック ザックザック」と軍靴の音が近づき、100メートルの隊列を組んだ兵士たちが、勇ましい軍歌を歌いながら目の前の校舎に入っていった。海上輸送を担う陸軍の、通称「暁部隊」だった。その日から校舎は兵舎になり、朝と夕方にラッパ音が鳴り響くようになった。

 「かっこいいな。大きくなったら兵隊になりたい」。学校で勉強できなくなったことへの不満はなく、憧れのまなざしを向けた。

 部隊は教室で寝泊まりし、運動場では朝から晩まで訓練を続けた。根路銘さんが通りに出て、友だちと「チャンバラ」や「ケンパー」をして遊んでいる間、隣の運動場では兵士たちがわらに銃剣を刺したり、ほふく前進をしたり。痛々しい光景も度々目にした。

 ある日、訓練についていけない兵士に上官が激しい体罰を加えていた。殴られていたのは、若くて体も小さい初年兵。通りで遊んでいた根路銘さんは「上官の恐ろしいほどの殴り方」を見て、心を痛めた。夕方、ラッパ音が響くと、それに合わせてまた歌った。

 〓初年兵はかわいそうだね~ また寝て 泣くのかね~

 誰が歌詞をつけたかは分からない。暴力と隣り合わせの日々の中、地域で自然発生的に歌われていたという。根路銘さんは「初年兵がかわいそうで、誰かが歌い始めたんでしょうね」と話す。

 かわいそうなのは初年兵だけではなかった。地域には多くの朝鮮人の姿があった。伊江島に連れて行かれ、飛行場建設のために強制的に働かされていた人たちだった。

 民家の軒下に入れたらまだいい方で、通りに横たわっている人が大勢いた。おなかをすかせていたのだろう。根路銘さんは「一帯のトウガラシがなくなっていたよ。本当にかわいそうだった」と振り返る。

 米軍に捕まったら、耳に針金を入れられて目をつぶされて海に捨てられる-。「どこからともなくそんな話が聞こえてきた」。44年冬、根路銘さん一家7人は家を離れ、日本軍がいる真部山に避難した。(社会部・榮門琴音)

※(注=〓は連桁付き八分音符)

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