〈大正に昭和平成と永らへて令和に祝ふカジマヤーかな〉。那覇市の許田肇さん(96)がこのほど、初の歌集「福木の双葉」を発刊した。「自分の感覚を刺激して、これからも歌を詠んでいきたい」と張り切っている。(学芸部・真栄里泰球)

初の歌集「福木の双葉」を手にする許田肇さん=1日、那覇市の自宅

 許田さんは1923年、那覇市生まれ。現在の那覇商業高校を卒業した41年に太平洋戦争が起こった。20歳で徴兵検査を受けたが、体格が基準に届かず、入隊できなかったという。徴兵検査に合格した友人12人は戦死。「学生時代の若いままの顔が浮かぶ」と在りし日をしのぶ。

 45年に「沖縄新報」に入社。戦況の悪化に伴い、上司や同僚と共に首里の壕へ移ったが、解散して本島南部へ避難した。目の前を歩いていた兵隊が艦砲射撃で命を落とすのを目撃したこともあるという。

 戦後はガリオア資金による米国留学生に選ばれ、琉球政府貿易庁や米フォード代理店の沖縄モータース、国場ベニヤ、中央食品などに勤務した。

 93年ごろから、短歌をつくるようになり「梯梧の花短歌会」に入会。現在は会長を務める。いつでもメモ用紙を胸のポケットに入れ、思い付いたことを書き留め、創作の推敲(すいこう)を重ねる。「週に4~5首くらいできるかな」と頬を緩ませた。家族との思い出を詠んだ〈年ごとに八重岳娘らと訪ねては緋寒桜の九十九折りゆく〉がお気に入りだという。

 出版後は県内外から感想の手紙が届いたり、「芭蕉布」の作詞者・吉川安一さんから歌が届くなど反響があった。許田さんは家族や周囲に感謝し、短歌への熱意を新たにしている。