沖縄と豊見城の魅力について語りあうオリオンビール早瀬京鋳社長(左)と山川仁豊見城市長

 沖縄を代表する企業の一つオリオンビールが、那覇空港に隣接する新興市街地・豊見城市豊崎に本社を移し、5月7日から業務を開始した。物流拠点と併設して本社を置いていた浦添市内の築45年の社屋から、自社で保有する豊崎の商業施設「TOMITON(とみとん)」内に本社機能だけを移転した。昨年、野村キャピタル・パートナーズと米投資ファンド、カーライル・グループが設立した特別目的会社の傘下に入ったオリオンビール。新体制発足からまもない同社にとって豊崎への移転は「第2の創業」の象徴となる。新体制を率いる早瀬京鋳社長兼最高経営責任者(52)と、沖縄県内最年少首長として「デジタルファースト」を軸に行財政改革に取り組む豊見城市の山川仁市長(45)が、オリオンビールの新オフィスで対談、新たな組織のあり方や沖縄経済の展望について語った。 
                    (Polestar Okinawa Gateway 座安あきの)

 那覇空港から車で約15分の距離に位置する豊崎地区は、アウトレットモールやホテル、マンション、分譲住宅などが集積するほか、公園や県内最大級の人工ビーチ「美らSUNビーチ」が整備され、地元の若い世代や県外からの移住先として人気の地域。今月19日には、デジタル水族館やミニチュアテーマパークなどが入る大型複合商業施設「イーアス沖縄・豊崎」が開業するほか、新たなリゾートホテルの開発計画などもあり、人口増加が続く全国でも成長性ある地域として注目度が高い。

■コミュニケーションあふれるオフィス

 オリオンビールの新オフィスでの業務開始は、新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の期間に重なった。老朽化した旧社屋からの移転は以前から計画されていたが、企業にも在宅勤務や密集、密閉、密接の「3密」を避ける対応が迫られる中、偶然にも、その条件を満たしたオフィスへの移行が実現した。

フリーアドレスで好きな場所で仕事ができるオリオンビールの新オフィス(同社提供)

 早瀬社長が「これ以上ないタイミングで、安全安心な環境で新しい働き方ができるオフィスを構えられた」というように、天井は高く、ワンフロアで全体を見渡せる開放感ある空間。席を固定しないフリーアドレスを導入し、ウェブ会議ツールを活用して自宅でもオフィスでも頻繁に打ち合わせや会議を開ける環境が一気に整い、コミュニケーションが以前よりも活発になったと喜ぶ。快適なオフィスに、つい人が集まりがちになるが、介護や子育て、遠隔地に住む社員など様々なライフスタイルに合わせて「働き方を選べるような体制を整えていきたい」と話す。

オリオンビールの新オフィス内(同社提供)

 “沖縄ブランド“の顔とも言えるオリオンビールの移転を心待ちにしていたという豊見城市の山川市長は対談のこの日、特産品の「ウージ染め」を使った布マスク姿で現れた。早瀬社長と挨拶を交わすと、おもむろにマスクを取り外す山川市長。すると、その下からもう一枚、オリオンビールのロゴ入りマスクがお目見えした。「オリオンさんにお邪魔するならと、妻が手作りして準備してくれた」と、サプライズのおもてなしで歓迎の意を表現。山川市長は「いろんな縁が絡み合い、第2の創業の地に豊見城市を選んでくださった。県民自慢のオリオンビールを豊見城市から世界に発信してほしい」と期待した。


■「環境」「子ども」テーマに連携を

オリオンビールロゴ入りのお揃いマスクで対談する早瀬社長(左)と山川市長

 豊見城市の最大の特徴といえば、人口に占める15歳未満の子どもの割合が全国一位という「若さ」にある。中でも新興住宅市街地である豊崎では、アジアからの誘客や観光交流を視野に街づくりと企業誘致を進めてきた。パンデミックによる経済へのダメージは他地域同様に深刻だが、山川市長は「日本経済の元気の源は沖縄。その元気をいの一番でつくるのが豊見城であり、豊崎。コロナ後の経済のV字回復には、オリオンさんはじめ、企業の力の結集が必要」と言い、連携、協力を仰いだ。


 早瀬社長も、若いエネルギーがあふれる豊見城市と、空港に近く、ビーチを有する豊崎の立地の優位性に着目している。同社が特に力を入れている社会貢献事業では、子どもやシングルマザー向けのキャリア教育支援を一つの柱に据えるほか、美らSUNビーチを舞台にしたイベント開催などで海や環境にまつわる様々なメッセージを国内外に発信していく計画もある。早瀬社長は「環境と子どもをテーマにした新しい事業でぜひ一緒に取り組みたい。市長へ私たちからのラブコールです」と応じた。

■アイデア引き出す、トップの即決

  早瀬社長が、オリオンビール初の外部起用のトップに就任してから約10カ月。同社はプレミアムビールの「75BEER(ナゴビール)」やライザップとコラボしたハイボール、県産素材を使ったチューハイ飲料など矢継ぎ早に新商品を投入。オリジナル動画やSNSを活用したプロモーション手法にも、従来のイメージとの違いが際立つ。早瀬社長が消費者からの反応に手応えを感じているのはもちろんだが、一番の変化は「社内の雰囲気」だと明かす。「就任当初は、誰かがアイデアを言ったらみんな固まっていたが、今は新しいアイデアがどんどん出てくるし、やってみようとなれば、すぐ動き出すようになった」。

 社員のフットワークが軽くなったのは、「早瀬社長の決断の速さのおかげ」と、大手広告代理店出身で同社マーケティング本部の原國秀年さんはいう。「これまでの経験だと、いろいろアイデアが浮かんでも、手続きに時間がかかったり、上申している間に企画自体が潰れてしまったり、悩んでいる間に時間切れになったりしている場合が多いけれど、今はそれがない。すぐに決めていただける」と、仕事を進める上でのトップの決断スピードの重要性を強調する。


 「オリオンは大企業じゃなくてベンチャー企業なんだから。なんでもやってみよう、リスクはこっちが取るから」。
 就任以来、早瀬社長は社員に繰り返しこう伝えてきた。アイデアを実行に移してみて、例えうまくいかなくても失敗を指摘することはない。「ただ、前例踏襲だけは絶対に許さない。例年と同じような提案をしてきたら必ず戻して、違うことを考えさせるようにしている」。消費者である県民から「オリオン変わったよね、なんか面白いことやっているよね」という声が届くようになれば、改革の一つの成果になる、とみている。

■県民に根差す無形の財産 

 オリオンビールが沖縄初のビール会社「沖縄ビール株式会社」として創業したのは沖縄戦終結から12年後の1957年のこと。沖縄はまだ米軍の統治下にあった。ビール事業は工場を建てる多大な資金と高度な醸造技術が求められる大規模な装置産業。誰もが実現できるはずがないと思ったが、創業者・故具志堅宗精氏はやると決めた。株式購入を呼びかける新聞広告に掲載された設立趣意書には、「ビールの輸入を防ぎ、ドルの流出を阻止できる」「雇用の拡大で、沖縄の経済振興に寄与できる」ーなど、具志堅氏の創業に懸ける思いと意義が記されている。

名護のオリオンビール工場(1959年、沖縄県公文書館所蔵)

 「沖縄を復興させたい」「成功すれば、若者に夢と希望を与えることができる」との強い訴えに政財界の代表者らも心を動かされた。オランダ資本のビール会社からあった50%の出資の申し出を断り、具志堅氏自ら企業関係者を回って資金をかき集め、地元資本による設立にこだわった。オリオンの名称も800余の応募の中から選ばれた。名実ともに地元が支える企業基盤がつくられてきた経緯がある。

 あれから60年あまり。県民の中に「オリオンビール」という無形の価値をつくってきたものは何だったと思うか尋ねると、早瀬社長はこう答えた。「沖縄の星だったと思う。沖縄の経済振興だったり、若者が大人になった時にオリオンを囲んで青春を過ごした時間だったり。それが3代、4代と続き、ブランド価値となって根付いてきた」。

オリオンビール創業者の具志堅宗精氏(1975年)

 一方で、「古びてしまったものも正直ある」。同社が行った消費者調査では、県内でのブランド別の支持率で1位を獲得したのはアサヒビールの商品。品質やデザインのイメージ、県民嗜好への配慮などでも県外ブランドの方が評価が高いというショッキングなデータが出た。だからこそ、具志堅氏がビール事業を興して県民を驚かせた時のように、「もう一度、新しいことを仕掛けて県民を喜ばせる、驚かせる。そこに戻りたい」と話す。

 山川市長も、初めて口にしたお酒はオリオンビールで、県産品としての思い入れも強いという。豊見城にはマンゴーやトマト、葉野菜などの特産品が豊富にある。山川市長は「ビールにも健康志向が取り入れられ始めている。これまでの概念を覆すような取り組みを、共に知恵を出し合いながら、実現できれば嬉しい」と意気込んだ。
 

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