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「諦めるのは簡単だが、続けるのは難しい。しっかり鍛えながら夢を持ち続ければ、それはかなう」 車いす陸上界のフロントランナー、上与那原寛和のコトバ

2020年6月6日 15:39
 
 

 県内車いす陸上界のフロントランナーで、来年夏に延期になった東京パラリンピックに出場が内定している48歳の上与那原寛和(SMBC日興証券)。自身4度目で、50歳で迎える東京大会でトラック競技初の表彰台を目指し、衰え知らずのタフネスぶりを発揮し前へと進んでいる。

 上与那原は沖縄市出身。28歳の時にバイク事故で首を骨折し、頸椎(けいつい)を損傷した。リハビリで31歳から競技を始め、2003年のぎのわん車いすマラソン大会でデビューした。

 頭角を現し、初めての大舞台となった08年北京大会。フルマラソンで銀メダルに輝いた。

北京パラリンピックの閉会式が終了し、笑顔で会場を後にする車いすマラソン銀メダリストの上与那原寛和選手=2008年9月、国家体育場(共同通信)

 だが、トラック競技に転向した12年ロンドン、16年のリオデジャネイロの2大会はミスもあり、メダルを逃した。東京では「三度目の正直」を果たすべく、レーサー(競技用車いす)をこぎ続けている。

 昨年11月にあった世界選手権T52クラスの400メートルと1500メートルの2種目で、日本代表内定を決めた直後、大分へ直行。育ててもらった県車いす陸上クラブ「タートルズ」の面々と大分国際車いすマラソンに出場し、T33・52マラソンのクラスで優勝。連戦が続く中でタフネスぶりを発揮した。
 

大分国際車いすマラソン、T33・52で、男子優勝した上与那原寛和=2019年11月、大分県(大分合同新聞社提供)

 レース後のインタビューでは「スピード、持久力、筋力の全てを上げていかなければ。ワンランクだけでは足りないくらいだ。世界選手権ではチームワークを発揮できたが、東京では日本人選手もライバルにもなる。決して楽ではない」と早くも東京大会に向けて闘志を燃やした上与那原。

 パラアスリートの後輩たちや、車いす陸上に取り組む子どもたちに向けては「諦めるのは簡単だが、続けるのは難しい。しっかり鍛え夢を持ち続ければ、それはかなう」とのメッセージを発信していきたいという。

 新型コロナウイルスの感染拡大で1年の延期が決まったが、「アスリートとして準備することは変わらない。練習時間も延長できると捉えている」と前向きに語っている。

記事・新垣亮、デザイン・新垣怜奈

 

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