近年、沖縄ジャーナリズムは、辺野古報道や選挙期間中のファクトチェック活動など、常にに日本の言論報道活動の起爆剤としてあり続けている。それは、毎年切れ目なく、本紙をはじめとして沖縄県下の新聞・放送局が、国内の報道顕彰活動で受賞を続けている事実からも明らかだ。そうした中での、今回の沖縄タイムス社の「人事」もまた、日本全体のジャーナリズムを転換させるきっかけになることを期待させる出来事だ。それを、日本の取材慣習の観点から、先の「黒川賭け麻雀問題」を例に考えてみたい。

山田健太専修大教授

 

■取材過程の透明化

 今回の事件で、最も多く議論されたのは、記者と取材先(情報源)との距離の取り方である。一般に「密着」と「癒着」の違いと称されることが多いが、懐に飛び込んでいって、飲み込まれてしまっては意味がないということだ。とりわけ派閥を取材対象とする政治記者の場合、「書かない大記者」が一定の地位を占めていた時代があったが、政治家と一緒になって〝政りごとを行う〟記者が存在していた(る)ということでもある。いまなお、記者出身の政治家が多いという点で、この風習は残存しているということになるのだろう。

 この点から分かる通り、両者の関係は取材方法だけに現れるのではなく、現在の首相や官房長官の記者会見でも指摘される、担当記者と取材源の関係そのものでもある。それゆえに、問題の本質は深く、付き合い方というより両者の関係性そのものである。記者が取材先との信頼関係を、読者(市民)とのそれに優先させていることにこそ、問題があることが分かる。この両者の信頼関係は一般に、反比例することが多く、それゆえにいかにうまくバランスをとるかが、記者の能力の1つでもあろう。しかし最終的には、読者の信頼によってのみ、記者(報道機関)の存在価値があることを決して忘れてはなるまい。

 そのうえでさらに日常的な取材活動を考えると、官僚でも警察でも、取材先と良好な関係を築くために、ゴルフやマージョンをすることは当たり前で、取材先の子どもの家庭教師役をしたり、家人にプレゼントをしたりすることも、基本的な取材のイロハといわれてきた時代があった。いまでも、食事に一緒に行くのは、むしろしない記者を探す方が難しいだろう。しかしこれらは、ある意味では、少し前までの(あるいは今でも)日本の会社員の「接待」マナーでもある。

■取材先との距離

 それからすると問われるのは、あえて言えばこうした「悪しき慣習」をどう断ち切るかということだ。一緒に酒を飲まないと仲良くしてやらない、という官僚がいれば、むしろそれがおかしいと、報道側のみんなが一致して思えばよいだけのことだからだ。残念ながら、そういう場合に必ず抜け駆けして、行かないのは一緒に飲みに行けないことを逆恨みしているだけ、と批判する者が出てくるものだ。それをこうした事件を機に、「付き合う必要がない」ことを一般化することが大切だ。

 といって、飲食全般を禁止してしまえば、通常の取材にもむしろマイナスの影響が大きいであろうし、どこかで一線を引く必要はある。例えば、記者が株取引をしないよう社内規定で定めているように(少なくとも経済記者は禁止しているはずだ)、たとえば5千円を超える支出を伴う付き合いはやめることとし、それを超えた場合は、社のサイト等で開示するなどの方策で、取材過程の透明性を確保することが必要ではないか。それが、報道機関の社会に対する説明責任と考えるからだ。なぜそこまでと思われるくらいの姿勢を示すことなく、報道機関の信頼性を取り戻すことは難しいということでもある。

 日本の場合は、接待される場合も含めて、物品や金銭のやり取りに一般に甘く、最近は減少したとはいえ、取材先の企業から物品をもらうことは付き合いの範囲ともされてきた。海外のジャーナリストは、せいぜい社のロゴの入ったボールペン1本といわれている。取材先からの厳格な受け取り上限規制を、日本でも導入する時期でもある。

■男社会からの脱皮

 そしてこれを機にこうした慣習を断ち切る重要な意味が、これらが「男社会」の中で成立してきた慣習であるという点だ。夜討ち朝駆けにしろ、土日もプライベートもない取材先とのべったり密着型取材スタイルは、長時間労働しかも多くの場合は家庭を犠牲にした働き方を前提にしたものだ。これが結果的に、育児を女性が担うことが多い日本社会の中で、女性記者の参入障壁となってきた側面が拭えない。

 2018年に発覚した財務事務次官の女性記者への取材を装ったセクハラ事件も、この裏返しとして起きたことだ。当時、当該次官のみならず、財務省官房長もそして麻生太郎財務大臣自身も、セクハラの事実自体を否定し「いやなら帰ればいいだろう。財務省担当はみんな男にすればいい」と、むしろ女性記者の排除につながる発言を行った。こうした認識の政治家が、何の反省もなく同じ地位に居続けることの結果、最近の労働組合の調査でも、セクハラ実態が決して過去の話でないことが浮き彫りになっている。

 7月に沖縄タイムス社は、編集局長と論説委員長のいずれもが女性となる。日本の新聞社の紙面は記事(事実)と論説(意見)からなるが、その紙面責任者が前述の2人である。いわば、日々の紙面作りの最高責任者が双方とも女性となったのは、筆者の知る限り初めてのことだ。冒頭に、多くの点で沖縄ジャーナリズムは日本を変える起爆剤になってきたと書いた。トップが女性になったことをきっかけに、過去の柵(しがらみ)から解き放たれて取材・報道慣習が変わり、日本の報道界の壁を壊すきっかけになることを強く願う。もちろん、一番変わらねばならないのは<男たち>である。

やまだ・けんた 1959年京都市生まれ。青山学院大卒。専門は言論法。2012年4月から現職。著書に「沖縄報道」「法とジャーナリズム」「見張塔からずっと」「言論の自由」など多数。日本ペンクラブ専務理事。