日差しが照りつけ蒸すような暑さとなった週末、糸満市摩文仁の平和の礎を訪ねた。75年前、砲弾が飛び交う戦場を逃げ惑った人々の辛苦を想像する。沖縄戦体験者や遺族が肉親の名前をなぞり、静かに手を合わせていた

那覇市の波平元維(もとしげ)さん(81)は繁多川の壕を追い出され、家族や住民と東風平方面に避難した。壕から壕へ転々とするさなか、祖父の元庸さんと生き別れた。戦後、収容所で亡くなったことを知った

▼雨の日、近くに落ちた砲弾の破片が姉の後頭部に刺さった。母がとっさに取って放ると、水たまりでジュッと蒸気が上がった。6歳だった波平さんの脳裏に刻まれた、死と隣り合わせの記憶。「むごい戦争に勝ちも負けもありません」

▼「壕内で家族は、ナチブサーだった私の口をふさぐよう言われたそうです」。そう語るのは浦添市の仲西ヨシ子さん(76)。父善亀さんと兄善孝さんはどこで亡くなったか分からず、遺骨もない。平和を願い、魂魄の塔と礎で夫と祈った

▼本紙と朝日新聞が行ったアンケートで、体験者の62%が「沖縄戦が次世代に伝わっていない」と答えた。風化への危機感が浮き彫りになった

▼身を削る思いで体験者が紡いできた言葉を記録し、伝えるのは戦後世代の責任だ。今なお、言葉にできない体験があることも胸に留めたい。きょうは慰霊の日。(大門雅子)