名護小学校そばの「旭が丘」と呼ばれる小高い丘に沖縄戦の慰霊碑がある。祭られているのは10代半ばで「護郷隊」に駆り出された95人。陸軍中野学校出身の将校に率いられ、北部の山々でゲリラ戦を担わされた

▼久高栄一さん(73)は慰霊の日に欠かさずこの碑を訪れてきた。長男兄の良夫さんを15歳で亡くしている。碑の建立者でもある隊長の人柄や功績をしのぶ考えを受け入れられないまま、もはや限界と今年は足を運ばなかった

▼召集後、良夫さんが殴り合いの「訓練」をさせられているのを見て、父は一度、家に連れ帰っている。上官に再び連れ戻され、やがて山中の戦闘で焼き殺されたとされる。遺骨はない。戦後、自宅を訪ねてきた隊長に、母は半狂乱でつかみかかったという

▼隊長自ら書いたとされる碑文には、護郷隊の戦果が揚々とつづられている。少年たちの死をたたえ、責任をあいまいにする。それでは兄が浮かばれないと栄一さんは思う

▼明け方まで、戻り梅雨のようだった今年の慰霊の日。旭が丘では、日の光が朝露を照らしていた。じりじりとセミが鳴き始め、ゆっくりとチョウが舞う。部活動らしき管楽器の音色が遠くに響く

▼子どもたちが国のために死んで誉れとなる、まやかしの正義などいらない。碑に刻まれた一人一人の名をたどり未来に誓う。(粟国雄一郎)