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「無理と言われてきた人生。当時の自分が聞いたら泣くと思う」 沖縄の長距離界をけん引してきた濱崎達規(マラソン)のコトバ

2020年7月3日 16:00
 

 冷たい雨が降る中、沖縄の長距離界をけん引してきた濱崎達規は、ひたすら前へ前へと脚を動かし続けた。

 2019年3月3日、18年間の競技人生の集大成として臨んだ東京マラソン。

 5度前後の気温で体はすっかり冷え切り、目がちらついた。前方を走る選手が何人もリタイアした。完走率は歴代ワースト2位の低さで、脚も上がらず、体も思うように動かない。それでも「情けないと思いながら、何とかゴールはしようと。リタイアの形で終わらせたくなかった」。目標タイムには届かなかったが、最後まで走り切った。

◇走り続けた「公務員ランナー」

 東京マラソンは、東京五輪の代表を決める「グランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場に向け、ラストチャンスと挑んだ大会だった。結果は2時間23分57秒で81位。

 「最後まで諦めたくない」と4月21日に出場した長野マラソンでは、目標時間より9分22秒遅かった。MGCに向けた国内最後の大会で出場権を獲得できず、五輪を目指した日々が終わった。
 沖縄工業高校出身。亜細亜大を経て、実業団の小森コーポレーションで走り続けてきた。17年に引退して沖縄に戻り、同年4月からは南城市役所で勤務。一度は第一線から退くことを決めていたが、同年12月の防府読売マラソンが転機となった。自己ベストで県新記録となる2時間11分26秒を記録した。このレースを境に再び五輪を目指すと決め「公務員ランナー」として国内外のレースを走り続けてきた。沖縄の長距離界をけん引してきた第一人者だ。

沖縄最大級のレース、NAHAマラソンに初出場し、初優勝した濱崎達規=2017年12月3日、八重瀬町富盛

◇信じ続けることで道切り開く

 陸上を始めたばかりの頃、大会に出ればビリで、女子の選手にも負けた。中3年で芽が出始め、高校でも続けようとすると、通っていた塾に先生には「陸上で高校を選択するなんてばかげている」とまで言われたという。

 それでも、実業団で走ることを目指し、自分の中で人生設計を組み立て、努力し続けてきた。当時を振り返り「周りに無理と言われてきた人生。当時の自分が聞いたら泣くと思う」。信じ続けることで、道を切り開いた。

高校総体の男子5000メートルで、大会記録を更新して優勝した沖縄工業の濱崎達規=2006年5月28日、県総合運動公園陸上競技場

◇沖縄から戦える選手を 子どもたちの育成に力注ぐ

 五輪への挑戦が終わった現在、南城市で自身が設立した「なんじぃAC」で子どもたちの育成に力を注いでいる。「陸上選手が格好いいと、シンプルに思ってもらえるように、自分にしかできないことを示したい」と沖縄で陸上競技をメジャースポーツにすることが目標だ。

実業団生活を終えて沖縄に拠点を移し、母校の後輩たちと練習に励む濱崎達規=2017年7月7日、黄金森陸上競技場

 「10年後、20年後、実業団もない沖縄の環境で、市民ランナーとして頑張る泥臭い選手が県外で戦うようになってほしい」と期待を込め、そしてこう付け加えた。

 「恵まれた環境じゃなかったけど、やれるということを、MGCを目指す2年間の取り組みの中でちょっとは示せたのかな。自分のスタイルをまねするランナーが20年後に出てきたら、とてもうれしいですね」

(記事・我喜屋あかね、デザイン・新垣怜奈)

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