沖縄戦で住民を巻き込む起点となった旧日本軍第32軍司令部壕を巡り、2012年度の県調査の過程で、専門家らが部分公開の可能性を指摘していたことが1日、分かった。県は調査を踏まえた上で「一般公開しない」としたが、当時の専門家は「今後も経年劣化に耐えられる可能性が高い区間がある」「県が公開を目指すかどうか、姿勢を明示することが前提」と言及しており、玉城デニー知事が本年度中に発足するとした保存・公開検討委員会にも示唆を与えそうだ。

第32軍司令部壕対策事業 議事録

第32軍壕県調査会で公開を巡る発言部分

第32軍司令部壕の位置

第32軍司令部壕対策事業 議事録 第32軍壕県調査会で公開を巡る発言部分 第32軍司令部壕の位置

 32軍壕の地上部にある首里城が昨年10月31日に火災で焼け、再建への動きがある中で、32軍壕の公開を望む声が高まっている。

 県は12年7月~13年2月、壕の地表部の陥没などが懸念されるとして「埋めるか、保存か」を決めるための対策事業を実施。地質やトンネル工事の技術専門家6人を招き、12年11月と翌年1月に計2回の会合を開いて議論。事業を受け持った建設コンサルタント会社が内容を報告書にまとめ、県に提出している。

 報告書によると、専門家は県が整備した進入路から第2、3坑道、第5坑口から第5坑道に入り、目視で調査。「壕自体が地表部へもたらす影響は大きくない」との意見で一致し埋め戻さないことを決定した。

 一方、壕公開について深く議論せず、県は事業結果を受けて一般公開しないと結論付けた。報告書では「壕内は岩塊の崩落、酸素の欠乏や雨期における出水などが発生し『絶対的な安全性の確保』が困難」「整備にはばく大な費用が必要」との理由で部分公開には触れていない。委員の一人だった琉球大学の黒田登美雄名誉教授(水理地質学)は、当時は大掛かりな調査はやっていないとし「公開への方針が決まれば、工学的な検討、予算、安全性が調査に基づいて検討されるだろう」と話した。

[ことば]

 第32軍司令部壕 旧日本軍が首里城の地下に掘った壕。米軍の本土上陸を遅らせるための持久戦と位置付けられた沖縄戦の指揮を執った。1944年12月から構築開始、45年3月完成とされる。総延長は約千メートル。約千人の将兵と沖縄の軍属や学徒、「良家の子女」や県外出身の芸者らがいた。第1~5の坑道があり、入り口も五つ。現在確認できるのは第5坑口のみ。(社会部・勝浦大輔)