一律10万円給付はなぜ遅れた?

[酒井真弓ITmedia]

 全国民に一律10万円を給付する特別定額給付金を巡り、いくつかの自治体でトラブルが報告されている。給付に時間がかかるといったものから、二重払いするミスまで、人海戦術で解決しようという動きを垣間見るに、現場の疲弊ぶりは相当なものと推測される。

 いち国民としては、「戸籍もあるし、銀行口座引き落としで納税もしている。国や自治体は当然そういったデータを使って、スムーズに給付できるはずだ」と思ってしまうが、実はここに落とし穴がある。

 例えば、行政機関が保有する住民の氏名データは、制度上、漢字のみでフリガナは便宜上登録されているにすぎない。一方、全銀ファイルの氏名はカナしか存在しない。そのため、突合でエラーになることがある。制度がもはや社会の実態に即していないのだ。何らかのユニークキーによってデータが一元的に整理されていれば、ここまでの混乱はなかったかもしれない。

この国の制度は、100年前からほとんど変わっていない

 コロナ禍で、広く国民が実感することとなったデジタル化の遅れ。それもそのはず、今の行政の基礎が出来上がったのは100年前の明治時代。私たちは100年前からずっと、窓口へ行き、手書きで書類を埋め、ハンコを押してきた。もちろん、自動処理などは想定されていない。

 デジタル化が進まないのは、日本の閣僚にオードリー・タン氏のような天才エンジニアがいないからではない。最も足かせとなっているのは、100年にわたって蓄積されてきた戸籍、商業登記といった紙の処理を前提とした業務と膨大なデータ。それを社会の変化に応じて改善してこなかった歴史だ。

 このことは、グローバル社会における日本の競争力にも暗い影を落としている。例えば、海外の投資家が日本企業に投資しようとする場合、資本金や業績、社長、株主といったデータをもとに投資先を選定する。それらが整理されていなければ、有望な投資先は世界中にあるのだから、日本企業には投資しない。逆に日本から海外に投資する場合も、米国企業に投資すべきか、アフリカ企業に投資すべきか判断しやすくしたい。日本が競争力を取り戻すためには、国際社会の要請に応え、流通するデータを整備することが不可欠なのだ。

日本はまだ、デジタル社会の基盤ができていない

 「行政がデータの整備を先延ばしにしてきたことが、民間のデータ活用にも影響を及ぼしている」と語るのは、データマネジメントの専門家で、政府CIO補佐官を務める下山紗代子氏だ。

Code for Japan等で活躍しながら政府CIO補佐官を務める下山紗代子氏

 「企業が、行政のデータソースを組み合わせて1つのデータにするとき、統一のコードが入っていないので、どれとどれが同一の情報なのかすぐに判断できません。そのため、多くの企業が多大なコストをかけてデータを整備するところから始めます。それが終わってようやくデータ活用のスタートラインに立てる。それが実情なのです」(下山氏)

 行政はこれまで、「データを活用する」という発想が希薄だった。そのため、サービスを立ち上げるごとにデータを整備し、終了とともにデータを消去したり、再利用不可能な状態で保管するといった非効率的な運用をしてきたという。行政が一元管理するデータソースや標準化されたデータを提供できれば、企業のデータ活用のハードルは格段に下がるはずだ。

 下山氏は、政府CIO補佐官の活動以外に、シビックテック「Code for Japan」(オープンデータやオープンソースを活用して東京都の「新型コロナ感染症対策サイト」を開発し、話題となった)にもコミットし、東京都以外の自治体も同様のサイトが運用できるよう、総務省や内閣官房などと連携し、自治体とシビックテックをつなぐ標準のデータテンプレートを整備した。下山氏は、このようなデータを巡る地道な活動が、デジタル社会の礎になると考えている。

 2020年3月に発表された「デジタル・ガバメント実現のためのグランドデザイン」では、行政のデジタル化を実現するための方向性が示されている。52ページにわたるその文書では、「データファースト」をはじめ、「ユーザー体験の向上」「政府情報システムのクラウド化・共通部品化」といった、これまでのお役所らしからぬフレーズが並ぶ。

 歴史をひもとくと、日本の高度経済成長の裏には、国土交通省の「全国総合開発計画」があった。工業団地や住宅地といった社会基盤を整備することで、人が集まり、ビジネスが生まれ、日本の競争力は高まっていった。今の日本は、デジタル社会の競争力獲得に向けた基盤づくりに、ようやく本腰を入れた段階だと言えよう。