新型コロナウィルスの緊急事態宣言が延長され、多くの人々が困窮にあえいでいる。未知の感染症が落とす影は依然大きく、私たちの社会を暗然と覆っている。だが、そこで見えた数々の問題も含めて、この国の本当の「病」は、感染症とは別のところにある。
 この春、新聞社を退職した。社会部デスクだった期間を含め、記者生活は35年になるが、1990年代半ばに勤務した沖縄で、「米軍基地問題」という、この国の「病」に気づかされ、記者として取り組むテーマとなった。その後の歳月は、この国にはびこる「病」の根本にある「病原」を探しあぐねる日々だった。
 今、こう言い切ることができる。見えざる「病原」の本当の姿は、私たち自身である、と。

辺野古新基地建設に反対する沖縄県民大会で「NO」の声を上げる人々=2015年5月、那覇市の沖縄セルラースタジアム
辺野古新基地建設に反対する沖縄県民大会で「NO」の声を上げる人々=2015年5月、那覇市の沖縄セルラースタジアム

◆今につながる事件

 1995年9月、那覇支局員として沖縄で取材していた時のことだ。アメリカ軍基地が所在する沖縄本島のある町で、その事件は起きた。小学生の少女が買い物帰りに、3人のアメリカ兵に拉致され、レイプされるという悲惨極まる事件だった。今日、多くの日本人の記憶からは薄れているのかも知れないが、今まさに問題になっている名護市辺野古での新基地建設につながっていく事件である。
 大まかに背景を説明すると、現在、日本国内でアメリカ軍が管理し、使用している基地(専用施設)は13都道府県にあり、全体面積は約2万6318ヘクタールにのぼる。そのうちの70%、約1万8494ヘクタールが沖縄に集中的に置かれている。沖縄本島をみれば、島の全体面積の15%が米軍に占有されている状態だ。こんな都道府県はほかにはない。むろん面積だけの問題ではない。基地、演習場から発生する航空機や訓練の騒音、墜落事故、落下物、山火事は全国でも断トツに多く、なかでも兵士らが基地から出て民間地域で起こす凶悪事件は、人々にとって最も耐え難い被害である。
 つい4年前にも、沖縄県うるま市に住む二十歳の女性がウォーキング中に元アメリカ海兵隊員の軍属の男に暴行され、殺害された。さかのぼれば1972年に沖縄が日本に復帰する前、筆舌に尽くしがたい痛ましい事件が日常的に頻発していた。
 95年の少女暴行事件の直後、当時の大田昌秀・沖縄県知事は、「代理署名」と呼ばれる行政手続きを拒否する。県内のアメリカ軍基地の敷地内に点在する「反戦地主」の所有地を、国が強制的に収用するため、定期的に必要になる更新手続きで、機関委任事務として知事に委ねられているものだ。その手続きに、前代未聞の「否」を突き付け、過重な米軍基地の縮小を国家に求めたのである。
 これによって翌年春には、沖縄本島中部の読谷村にあった米軍基地「楚辺通信所」の土地の一部が、米軍に占有させるための法的根拠を失って「不法占拠」状態になる。
 1996年4月1日未明。期限切れの午前0時、ゲート前には大勢の人々が抗議の声をあげて詰めかけた。それに対して米軍も日本政府もなすすべはなく、日米安保体制が大きく揺さぶられる事態だった。

◆忘れ去られた「問い」

 この国の何かが変わるのではないか――。この時の人々のうねりを現場で見つめながら、私はそんな風に考えた。敗戦後、「平和憲法」を持つこの国の国民は、「アメリカに守っていただいている」という固定観念に脳髄を支配され、国内各地を米軍が好き勝手に使える足場(基地)に提供し、しかも大半を沖縄に集中させたまま、国家の中枢も国民もその異常さを疑おうともしない――。
 この国のあり様に一石を投じた大田知事の捨て身の行動で、長年の不平等な安全保障政策を問い直す機運が広がるのではないか、と期待を持ったのだった。
 今思えば、30代だった私は、この国の「病」の深刻さをまだ十分に理解してはいなかった。2年後の97年、国会は基地用地の強制使用を可能にする駐留軍用地特措法の改正案を可決。知事が手続きを拒否しても国は米軍用地を継続して使用することが可能になる。沖縄の抵抗はあっさり押さえ込まれ、「安保」は微動だにしないまま、必死の問いかけもやがて忘れ去られていく。

◆マスメディアの岐路

 知事の代理署名拒否から法改正に至るまでの、基地問題と日米安保をめぐる政治の動きは、本土(ヤマト)のマスコミ報道にとっての岐路でもあった。
 新聞では朝日、毎日など比較的「リベラル」とみられているメディアは沖縄に対して同情的だったが、「保守系」とされる読売、日経などは沖縄県政への批判に傾き、産経には、沖縄タイムス、琉球新報という地元新聞への批判記事まで掲載された。本土からの「沖縄バッシング」の始まりである。
 私は、「リベラル」とされる方の新聞社の記者の一人だった。沖縄が負わされている問題を全国に伝えようという姿勢は、当時の担当デスクや取材キャップ、記者たちの間で少なからず共有されていた。しかし、そのころは私自身、問題の所在を見出すには至ってなかった。

新型コロナの感染が沖縄県内で広がる中でも、米軍基地建設のための埋め立て工事は止まらない=2020年8月、名護市辺野古
新型コロナの感染が沖縄県内で広がる中でも、米軍基地建設のための埋め立て工事は止まらない=2020年8月、名護市辺野古


 例えば、「沖縄の基地問題」という言葉は記事でもよく使うが、本来は、沖縄ではなく日本の「病」だ。また、近年、日米地位協定の問題が全国的に議論になっているが、少女暴行事件の際にも、沖縄県は在日米軍の特権を羅列した協定の見直しを強く求めていた。
 忘れてはならないのは、アメリカ軍関係の事件・事故の裁判権や捜査権に関わる不平等規定の、その先にあるのは、いまや「国是」と化した日米安保体制だ。そこには「平和憲法」と呼ばれる戦後日本の体制との根本的な矛盾と不合理が存在する。われわれ記者は、沖縄という地に現出した「症状」に対処するだけではなく、さらに分け入って病の原因となる「病原」を見据え、日本という国全体の問題として検証しなければならない。記者としてそのことを十分に伝えられなかったことが、今も消えぬ悔恨だ。