疎開船「対馬丸」が1944年8月22日に米潜水艦の魚雷に沈められて76年を迎えるのを前に、那覇市若狭の対馬丸記念館に21日、遺族から新たに提供された犠牲者9人の遺影が加わった。遺族の1人で生存者の知名美智子さん(82)は自ら父喜屋武盛好さん=当時(38)=の遺影を壁に掛け「やっと安心。もう何十年もたったね」と目を潤ませた。

父親の遺影を掲示する知名美智子さん(手前)=21日午後、那覇市若狭・対馬丸記念館

 当時6歳だった美智子さんは美東国民学校(沖縄市)の1年生で、家族4人で親族らと乗船した。魚雷を受けたのは甲板で寝ていた時。海へ放り出され救助されるまで三日三晩、竹のいかだで漂流した。

 沈む対馬丸の光、海上で響いた父や母、友人の名前を呼ぶ声が今も忘れられない。母は美智子さんをいかだに乗せた後に行方知れずとなり、父と兄ははぐれたまま。10人余りが乗ったいかだでは一人、また一人と力尽きていった。

 救助された船で母と兄は再会できたが、そこに父の姿は無かった。病弱だった母も翌年、栄養失調で他界。兄と2人でリヤカーに乗せて火葬場まで運んだ。

 親戚を頼るなどし戦後を生きたが、寂しさで「布団をかぶって泣いた」日々もあった。「なんで自分たちだけ生き残ってしまったのか」と思うこともあった。

 父は遺骨も遺品もなく、触れられるのは唯一、大阪にいた兄が保管していた遺影だけ。美智子さんは涙をこらえながら3度、写真の父に触れた。「何とも言えない。やっと皆さん(犠牲者)と一緒になれたけど、もういないんだから…。親を返してほしい」と話した。