【宜野湾】市嘉数集落の守り神として、嘉数高台公園内の聖地にシーサーがまつられている。石造りだった1代目のシーサーは沖縄戦で破壊され、やちむんにセメントを詰めた2代目は長年の雨で劣化。現在は3代目に当たる。旧暦6月15日の伝統行事「シーサー拝み」で集落に良い運気をもたらしてくれるよう祈った市嘉数の伊波義雄さん81は、こう胸を張る。「この神様は、何と言っても三度目の正直ですから!」。(中部報道部・平島夏実)

嘉数の村獅子。右が2代目、左が3代目=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内

嘉数の村獅子。右が2代目、左が3代目=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内

嘉数の2代目の村獅子。知花焼の陶器部分が足元や腹の下に残る

嘉数の村獅子に詳しい伊波義雄さん(中央)。右が2代目、左が3代目のシーサー=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内

嘉数の3代目の村獅子。琉球石灰岩を削り、セメントで足や尻尾を付け加えた

嘉数の村獅子。右が2代目、左が3代目=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内 嘉数の村獅子。右が2代目、左が3代目=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内 嘉数の2代目の村獅子。知花焼の陶器部分が足元や腹の下に残る 嘉数の村獅子に詳しい伊波義雄さん(中央)。右が2代目、左が3代目のシーサー=6日、宜野湾市の嘉数高台公園内 嘉数の3代目の村獅子。琉球石灰岩を削り、セメントで足や尻尾を付け加えた

 嘉数のシーサーは、その昔、現在の宜野湾市と浦添市の境目に置かれていた。明治時代、力持ちの「松本のおじいちゃん」がシーサーを持ち上げ、嘉数集落発祥の地とされる嘉数高台公園内の聖地に運んだという。

 「松本のおじいちゃん」は、嘉数と現在の西原町の青年がけんかになった際、「お互いのために思いとどまろう」と諭した空手の達人。六尺棒を地面に刺すと3尺が地下に埋まるほどの腕力で、いきり立った青年たちを一気に静めたとされる。

 だが、そのシーサーは沖縄戦で跡形もなくなった。集落を守る村獅子の再建話が出たのは、嘉数の住民が野嵩収容所から引き揚げて数年たってからのこと。沖縄市知花から知花焼のシーサーを取り寄せ、中にセメントを詰めた。その後、セメントは風雨で膨張してしまい、オレンジ色の陶器部分は現在、シーサーの足元や腹の内側だけに残る。

 その隣に2001年、新たに設置したシーサーが現在の3代目に当たる。伊波さんが高台公園近くで大きな琉球石灰岩を見つけ、当時の老人会長の伊波禅應さんらが公民館前でシーサーの形に削ったという。大きさは幅約70センチ、長さ約200センチ、高さ約150センチ。モデルは3世紀以上残る八重瀬町の県指定有形民俗文化財「富盛の石彫大獅子」。2代目の隣に固定する時になって、毛むくじゃらの足や大きな爪がセメントで付け加えられた。

 「いがる肝ちむ合あわち したてたる獅子や 世の果て迄までぃん 護って給たぼり 区民一同」。3代目のシーサーの傍らには「いがる(嘉数の私たちが力を合わせて造った獅子に、これからずっと守ってもらいたい)」との碑が添えられている。