沖縄県の名護市市済井出の沖縄愛楽園自治会は23日、ハンセン病問題の教員向け講座をオンラインで開いた。県内外の小・中・高校の教員や生徒ら約20人が、ハンセン病の回復者や元患者の家族の話を聞いたり、授業の実践例を共有したりして、理解を深めた。

ハンセン病について自身の体験を語る平良仁雄さん(左)=23日、名護市・沖縄愛楽園

 ハンセン病回復者の平良仁雄さん(81)は、幼少期に久米島で発症し、9歳で愛楽園に入所した。ハンセン病は当時、接触感染すると言われており、島から面会に来た父親とも握手さえできなかったという。「対岸に見える陸の明かりを見て、家族を思って涙することもあった」と当時を振り返った。

◆子どもにも病気のこと言えず

 その後、結婚して3人の子どもに恵まれたが、子どもには長い間、病気のことを隠していたという。「『らい予防法』などの国の誤った政策の下で、ハンセン病患者は自分の過去を隠しながら生きてきた。裁判に勝った今でも、みんなが堂々と過去を語れる状況にない」と強調した。

 平良さんは現在、愛楽園のボランティアガイドをする傍ら、学校を訪問して講話するなど、ハンセン病について伝える活動をしている。講座に参加した教員らに「短時間の講話でハンセン病について語るのは難しいし、生徒たちにもなかなか伝わらない。背景や基本的な歴史を普段の授業の中でも伝えてほしい」と要望した。

◆差別や偏見は患者の家族にも

 両親がハンセン病患者だった本島在住の男性も、患者や家族が受けてきた差別や偏見の苦しみを語った。父親は男性が物心がつかないうちに亡くなった。母親が病気のことを打ち明けたのは、男性が成人してからだった。

 愛楽園を退所し、体調が良くなっても、差別や偏見に苦しめられたことも聞かされた。近所の人とグラウンドゴルフをしていると、母親が作った差し入れの弁当は誰も手を付けない。家に来た親戚ですら、出したお茶も飲まなかったという。男性自身も、結婚相手の両親には母親の病気を理由に、結婚に反対されたといい「他の患者やその家族もみんな大変な思いをした」と語った。

 与那原中の玉那覇亜矢乃教諭は、自身が行ったハンセン病に関する授業を紹介。「ただ事実を伝えるのではなく、差別や偏見をなくすために何ができるのか、生徒と共に考えたい」と語った。