◆問いかけるべきものとは

 沖国大ヘリ墜落事故に話を戻そう。直後にこの事故を取り上げた全国紙の社説を見てみよう。一様に米軍や日本政府の対応を批判してはいる。そのうえで――。

 「・・・現場を一方的に封鎖し、大学の関係者ばかりか沖縄県警の係官まで締め出したのだ(中略)米軍のこうした態度が続けば沖縄の反基地感情を刺激し、安保体制の運用にも支障が出かねない」(8月17日付、朝日)

 「幸いにして負傷者こそいなかったが、一つ間違えれば、日米同盟を危うくしかねない事故だった。政権を揺るがす事態になったかも知れないのだ」(8月24日付、朝日)

 「最も重要なのは、日米安保条約が円滑に機能することだ。わずかな配慮の欠如が、安全保障の基盤を損なうことになっては取り返しがつかない」(8月26日付、読売)

 「事故をきっかけに日米安保体制が大きな批判を浴びそうだというのに、政府が一体となって問題処理に取り組む姿勢がみられない」(8月18日付、毎日)

 「米側に誠意を持った取り組みを求めるのは、それが日米安全保障体制に与える影響を考えれば当然である」(8月26日付、日経)。

 読めばわかるように、これらの文章に表れたのは、基地のそばで暮らす人々の命や生活へのまなざしではなく、事故が「日米安保体制」に支障をきたすことの心配である。とりあえず「安保」が安泰ならば、全国紙の新聞社にとっては騒ぐほどの大ごとではなかったということか。

 沖縄タイムス、琉球新報はどうだろうか。それぞれ複数回、社説を掲載しているが、切なる言葉の中に、この国全体への問いかけがみなぎっている。

 「私たちは、住民生活と基地の共存が不可能だということを再確認しなければならない。辺野古沖への代替施設もまた、住民の平穏な暮らしが脅かされる『危険の分散』に変わりはない。戦後五十九年、日米政府が一貫して進めてきた沖縄基地政策を問い直すことでしか、県民の暮らしは守れない」(8月14日付沖縄タイムス)

 「事故を起こした側だけの調査で、徹底した原因究明が図られるとも思えない。日本政府は米軍任せにせず、対等の立場で原因究明にあたるべきだ」(15日付タイムス)

 「仮に市民に死傷者が出たとしても、今回同様、米軍はなんら行動に規制は受けない。それが地位協定である。残念ではあるが、この不平等さの認識は日本政府にはなさそうだ」(18日付琉球新報)

 「小泉首相も、就任以来『聖域なき構造改革』を標榜しながら、こと基地・安保問題については『対米一辺倒』の姿勢を貫いてきた。県民の声に背を向けながら、有事体制やイラク問題などで米国に追従する。残念だがそれが首相の実態だと思う」(19日付新報)

 「安全を保障する『日米安保』に基づき駐留する米軍が、国民・県民の命、安全を脅かす。これは、納得できない。軍事安保の限界が透けて見える」(21日付新報)

 「在沖海兵隊はイラク派兵で空洞化し、一方で移動手段は佐世保基地の揚陸艦に頼らざるを得ない。根拠を置く理由は説得力を失い、米本国や本土からの輸送が効率的でさえある」(24日付タイムス)

 問いかけは明白だ。日米地位協定など安保体制の構造に関わる本質的な問題を指摘しつつ、この国の指導者たち、そして国民に再考をうながしているのだ。

 ◆足りなかったもの

 事故の半月後、私は東京本社へ異動になった。会議で私の意見を退けた二人とは、その後、言葉を交わす機会はなかったが、本稿を書くに際し、改めて連絡をとった。

 あの日の当番編集長はすでに退職していた。電話で尋ねると、「沖縄を想っている記者に比べれば、温度差はあったと思う」。トップに据えた記事がなんであったかは覚えていなかった。整理部デスクは即座に「間違った判断だった」と認めた。やはりトップにこだわった記事は記憶にはなく、「なぜあんな判断をしたのかわからない。いまだ痛恨事」と語った。

 何のことはない。一番沖縄取材の経験があった私がもう一押ししていれば、あるいは彼らの考えは変ったかも知れない。西部本社版で1面トップになれば、東京本社版ももう少し大きくなっていた可能性はある。紙面があのような形になった実質的な責任は、編集長やデスク陣を説得しきれなかった私にあるのは間違いない。取材の現場から離れ、自分自身がデスクとして紙面をつくる立場になると、それ以前に沖縄報道を担当していた先輩デスクたちほどの辣腕はふるえなかった。簡単に言えばそういう話だ。社内にも様々な考え方がある。同じ志を集めて力にしていくのも、私は下手な方だった。

 しかしながら、問題の本質はその日の記事の大きさではなく、もっと奥深いところにある。大学構内に米軍ヘリが墜落し、大勢の市民が犠牲になりかねなかった事故の意味を、もう一度、新聞社の一室で説明するとしたら、どんな言葉で伝えるだろうか。

 米軍ヘリ墜落は単なる偶発的な事故ではなく、日米安保体制によって必然的に起きた事故であるということ。すなわち、日米安保条約という日本国民の選択がまずあり、その負担の大半を沖縄に、そして「本土」の基地を抱える地域に押し付けている事実が存在するということ。墜落事故はその冷厳なる現実を見せつけたということ。ゆえに民間航空機の墜落や交通事故とは同列には語れず、私たち国民の「安保」選択そのもの、そしてその姿はいかにあるべきか、を何度でも問い直し、検証し、議論を重ねなければならないということ――。

 沖縄の人々の心には、「安保体制下」という意識が、否応なく染みついている。敗戦後はアメリカ軍に統治され、日本への「復帰」によって強制的に編入された日米安保体制の下でも、数々の労苦と被害を受けてきたからだ。沖国大での事故もそうした被害のひとつであるのは言うまでもない。そして私たち日本人の多くは、沖縄を踏み台にしたまま、アメリカへの従属を疑おうとはしていない。

 振り返って見るならば、やはり私自身にもその意識は不十分だった。沖縄のことを多少は知っているつもりでいながら、言葉に説得力を持たせるだけの認識には至っていなかった。「安保」があることにより、人々の命や生活は常に危険にさらされ、時に激しく蹂躙される。その不条理にさしたる意識もないまま、無意識のうちに米軍機事故をほかの事件・事故と同列に扱う。「本土」マスメディアの中にいると、そのような通念のようなものが存在するのを感じることがある。あの日、私はその通念の沼地の中で、記事の置き位置をめぐる言い争いをしていたに過ぎないのだ。16年前の新聞をもう一度作り直すことは無理だ。新聞社を去った今こそ、問いかけを始めなければならないと思っている。

(本稿はnoteより転載しました)