沖縄戦で米軍の捕虜となった住民に対し、氏名や捕虜になった場所・時期など個人への尋問を記録した「捕虜カード」が、沖縄県読谷村で見つかった。沖縄戦に詳しい有識者によると、収容所の運営や住民の名簿など収容所に関する資料はこれまで、ほとんど見つかっておらず「現物が残っているのは貴重だ」と話している。(中部報道部・大城志織)

比嘉盛勝さんの母カマドさんが持っていた「捕虜カード(右)。氏名や捕虜になった場所など尋問内容を記録している。左は、カードの封筒に入っていた紙。上部に「TOYA(都屋)」の文字が確認できる

母カマドさんが持っていた捕虜カードを手に「平和な世の中を願いたい」と話す比嘉盛勝さん=18日、読谷村・喜名公民館

比嘉盛勝さんの母カマドさんが持っていた「捕虜カード(右)。氏名や捕虜になった場所など尋問内容を記録している。左は、カードの封筒に入っていた紙。上部に「TOYA(都屋)」の文字が確認できる 母カマドさんが持っていた捕虜カードを手に「平和な世の中を願いたい」と話す比嘉盛勝さん=18日、読谷村・喜名公民館

 捕虜カードは、読谷村喜名に住む比嘉盛勝さん(81)の母親、故カマドさんが持っていた。縦15センチ、横10センチの茶封筒で、表面に捕虜を意味する「POW」(Prisoner of War)と明記。氏名や国籍(地元住民か日本人か韓国人か)、捕虜となった場所や日本語を話せるかどうかなど、12項目が記載されている。氏名欄には「Mrs.Kamado」の文字が読み取れた。

 封筒には縦30センチ、横20センチの1枚の紙が同封されており「この女性は非常に知的。(日本軍の)部隊の動きについて何か知っているかもしれない」と記載されていた。裏面には海兵隊司令部がこの様式を「各部隊に配布することを推奨する」とあり、捕虜を捕らえた日時や場所などを記入し、尋問部隊に送るよう書かれている。

 米公文書に詳しい県公文書館の公文書管理課資料公開班の仲本和彦班長は、今回のカードを指しているかは分からないとした上で「沖縄戦で、住民が収容所で捕虜カードを配られたと聞いたことはあり、米国立公文書館に保管されていないか確認したが、これまで見つからなかった」と話す。

 南洋のサイパンやテニアンでは捕虜収容所にいた個人の記録があり、フィリピンでは住民の氏名や指紋などが記録された捕虜カードが残っているのを確認したが、沖縄戦では全体像が分かるまとまった収容所の資料は米国立公文書館で見つかっていないという。仲本班長は「現物が見つかったという意味では、とても貴重だ」と評価した。

 元沖縄国際大学教授(沖縄近現代史)の吉浜忍さんも住民の捕虜カードを初めて見たとし「こうした資料は米軍側が普通は保管しているものではないか。捕虜自身がずっと持っていたのは珍しい。資料的価値は高いだろう」と話した。

 比嘉さんは今後、捕虜カードを読谷村史編集室などに寄贈したいとしている。