■「独り」をつないで ひきこもりの像 第2部 沖縄と8050問題 共倒れの際で(1)
「ひきこもりという言葉がない時代から、ひきこもり。母がいなくなったらきっと生きられない」
消え入りそうな声が漏れた。窓という窓が目張りされた本島中部の木造小屋。薄暗い室内を二つに仕切るカーテンの向こう側、3畳ほどの「聖域」が、コウジさん(49)=仮名=の全てだ。高齢の親が、中高年の子どもの生活を支える「8050(はちまる・ごーまる)問題」を「まさに自分だ」と自認する。

カーテンを開け、聖域の外に出るのは週に1度あるかどうか。それでも夜中に庭まで行くのがやっとで、この地に引っ越して10年以上、自宅の庭から外に足を踏み出したことはない。
カーテンの隙間から差し出すメモで意思を伝え、生活必需品は、隣に住む母マサエさん(83)=仮名=に買い出してもらう。買い物袋が届くと、つえを使って引き込む。聖域にはトイレがないから、用を足すときはバケツに。袋にまとめ、母にごみ出ししてもらう。水をためた大量のポリタンクも常備している。
高校中退後の16歳からひきこもり。中学生の頃着けた銀歯は外れ、うみが出ている。体を動かさない長年の生活からか、腰痛は年々増している。
「外に出ても『浦島太郎状態』でしょうね。自分が知る30年以上前の社会と、かけ離れすぎて」
テレビや母名義のガラケーは壊れたまま。「外」の社会に触れる唯一のメディアは今、ラジオだけだ。
母に負担かけ続ける苦しさ
マサエさんは数年前から、コウジさんと住んでいた小屋に出入りする数段の上り下りがしんどくなり、同じ敷地内にある簡易倉庫に住まいを移った。屋根は崩れかけ、土間に板を1枚置いただけのクーラーもない空間。屋根代わりにビニールシートをかぶせ、雨風をしのぐ。
沖縄戦を生き延び、貧しさから小学校を卒業するとすぐに実家を追い出されて働いた。離婚し、頼れる身寄りもいない中、女手一つでコウジさんを含め5人の子どもを育てた。総菜などの調理補助で1日14時間を超える立ち仕事を長年続け、日当は6千円ほど。
「寝て起きて、すぐ仕事の繰り返し」。コウジさんの幼心に残るのは、疲れ切り、布団でぐったりと横になる母の姿だ。
その母に今なお、心身の負担をかけ続ける。「働きものの母、できそこないの自分。母はきっと、自分を憎んでいる」。歳月の重なりが、外に向かうコウジさんの足を鉛のように重くする。
「息子のため」体を酷使
外の世界を遮断し、窓一面に張られた紙の破れた穴から、コウジさん(49)=仮名=がそっとガラス越しにうかがう母マサエさん(83)=同=の体には、日に日に老いが刻み込まれる。腰は曲がり、壁づたいに足をひきずりながら、息子のために手押し車を引いて買い出しに向かう。
何度か転倒し、大けがをしたこともある。要介護認定を受け、周囲から施設入所やヘルパー利用を何度勧められても、マサエさんが頑として首を縦に振らないのは「息子のため」だ。「子育て」は終わらない。他の4人の子も、いつしか2人と疎遠になった。
生活保護にも医療にもつながらず、社会から気配を消して、母を頼りに命をつないだ30年余り。コウジさんは「母と顔を合わせれば、現実に引き戻されてしまいそうで怖い」という。
親子で対面し言葉を交わしたのはもう何年も前だ。
マサエさんの安否を確かめる唯一の手掛かりは夜、簡易倉庫の窓に小さな明かりがともるかどうか。しかし母に緊急事態が起きても、外に出られず電話も持たないコウジさんには、外部にSOSを伝える手だてがない。
忘れられない中退の悔しさ
子どもの頃の将来の夢は警察官だった。どうして今、こうなったのか。
「ひきこもりを、社会のせいにしたいわけではない。半分は自分のせいだ。でも、もう半分は…」
コウジさんは、わだかまりをずっと解消できずにいる。うまく言葉にできないが、経済的事情で高校中退を余儀なくされた16歳の頃の悔しさは忘れられない。
「どうやら息子がいるらしい」という、マサエさんを担当する地域包括支援センターの情報で、ようやくコウジさんが家族以外の他人との接点を持ったのは約1年前。
親子は孤立し、共倒れ寸前だった。
(「家族のカタチ」取材班・篠原知恵)
■おことわり 30年以上ひきこもり状態にあり、家族以外の他人と接触のなかった男性の心境を正確に聞き取るため、本紙は看護師立ち合いの下、今年2月から断続的にインタビュー取材を実施しました。カーテン越しでしか取材できない男性の聞き取りに齟齬(そご)が生じないよう、記事化には細心の注意を払いました。この連載の第2部は2月開始予定でしたが、新型コロナウイルス感染症の影響で掲載が延びました。
■「8050問題」とは
リスク高い沖縄
80代の親が収入のない50代の子どもと同居し、経済的困窮や社会的孤立に陥る「8050(はちまる・ごーまる)問題」。沖縄から見つめると、その一端は貧困など、社会のひずみから起こり得るように映ります。他都道府県に比べ、沖縄のリスクの高さを指摘する識者もいます。
ひきこもり状態にある40歳以上の人は県内に推計7千人。実態はほとんど分かっておらず、行政の支援も行き届いていません。そこにいるのに、見えづらい。閉ざされた家の中で、本人や家族は今も高齢化をたどり、経済的、精神的、体力的に限界へと追い詰められつつあります。
連載「『独り』をつないで-ひきこもりの像-」の第2部は、「8050問題」に重なる沖縄の現場を歩き、当事者の声に耳を傾けます。
ひきこもりは誰にでも起こり得ます。身近な問題として、地域社会が本人や家族にどう寄り添っていけるのかを考えます。
家族への支援が不可欠
■ジャーナリスト池上正樹さん
高齢の親が、働いていない中高年の子どもの生活を支え、追い詰められる「8050(はちまる・ごーまる)問題」。ひきこもり状態にある人たちの取材を20年以上続けるジャーナリストの池上正樹さんは、いったんレールを外れてしまうと元に戻りづらい日本の社会構造のゆがみに加え、「家族の責任」「自己責任」と捉えがちな社会の風潮が、ひきこもり状態の長期化を招いたとみている。
自分を守るため、安心できる場所にひきこもるきっかけは、不登校、職場のトラブル、失恋、介護、自然災害、精神疾患、事件事故など多種多様だ。池上さんは「誰でも、何歳からでも、ひきこもり状態に陥る可能性はある」とし、決して「特殊」な人ではないと強調する。
一方で「この国の『働かなければだめだ』という圧の強さが、当事者を追い詰めている」と指摘する。
ひきこもるのは本人の努力不足や甘え、親のしつけなどが原因で「当事者が克服すべき問題」と捉えられてきたために、責められたように感じた家族は、ひきこもる子どもの存在を隠しがちになった。
生きる希望を伝えて
国も社会問題として直視せず、法制度のはざまで行政による相談者のたらい回しも頻発した。本人や家族だけでは解決困難な問題を放置した長年の結果が今、8050問題として表面化した、とみる。「社会構造のゆがみが生み出した問題。本人より、まず家族が安心できるようサポートを維持していくことが大事だ」と提起する。
ひきこもる本人は、人として認められず、社会に排除されたと感じていることが少なくない。「新型コロナの影響で、外に出られなくても、不器用でも、生き方や働き方の選択肢が多様に広がった。一人一人の内面にある素晴らしいものを認め、寄り添い、生きる希望が感じられるようなメッセージを届ける人材を、地域でいかに育成していくかが支援のカギになる」と話す。
問われているのは私たち一人一人、と池上さん。全てを自己責任とする社会で生きていくのか、一度つまずいても互いに支え合う寛容な社会で生きたいのか。「変わるべきは、ひきこもる本人でなく、社会の価値観ではないか」と問いかけている。