夏から冬にかけ生産される沖縄のかんきつ「シークヮーサー」。10月に入り、青果用に出荷される青切りシークヮーサーが収穫大詰めを迎えている。やんばるエリアで、大宜味村、名護市に次ぎ、国頭村と並ぶ産地として活気づく本部町を訪ねた(※)。

 生産者の高齢化が進む中、後継者が育ち始め、収穫量を年々伸ばしている同町は拠点産地認定を目指している。豊富な機能性成分を含み、健康と美容の分野で再注目される〝緑の宝石〟シークヮーサー。旬の味覚を定番料理にプラスするテクニックと、栄養価を野菜ソムリエが解説する。ジュースなど加工商品も豊富なシークヮーサーをぜひ、年中食卓に取り入れてほしい。

※JAおきなわが取り扱うシークヮーサー収量全体で見ると50%が大宜味村、25%が名護市、国頭村と本部町がそれぞれ10%となっている。

祖父の地で志継ぎ生産者へ転身 仲井間憲治さん一家

 タンカン狩りで知られる本部町。産地で有名な伊豆味のお隣、大嘉陽地区は古くからシークヮーサー生産が盛んな所だ。生産者の平均年齢が70代と高齢化が進む中、同地区では徐々に若手が育っている。

 約3600平方㍍の果樹園を営む仲井間憲治さん(47)は11年前、祖父の他界をきっかけに建築業から生産者へと転職した。父の憲康さん(74)、母のタカ子(71)さんとともに那覇市から移り住み、栽培に励む毎日を送る。

 「幼いころから祖父を手伝い、畑仕事が大好きだったので、継ぐことに迷いはなかった」と憲治さん。緩やかな斜面に広がる畑では、夏場から続く青切り用の収穫が終盤に入っている。9月下旬からは加工用の出荷が12月下旬まで続く。年間収量は5㌧。それが終わるころ、タンカンの収穫が始まる。

祖父の畑を引き継ぎ、建設業からシークヮーサー生産者へと転職した仲井間憲治さんと一緒に働く母のタカ子さん、父の憲康さん(右から)=本部町大嘉陽

天敵は台風だけじゃない

 高齢になるにつれ、休業状態となっていた祖父の畑は荒れ果てていた。「ここは酸性土壌の傾斜地で水はけもいい。西向きの斜面は日が長く当たるから、果実が甘くなるはず」。ブルドーザーを入れ、土作りから始めた。

 軌道に乗り始めた2011年、長時間停滞した台風被害で収穫量は例年の2割を切った。さらに翌年も台風に襲われ、収穫はゼロに近い状態となった。一家の畑は海岸から約3㌔の場所にある。台風のたびに塩分を含んだ風雨が葉を弱らせる。風雨がやむやいなや1本1本を噴霧器で洗い流し、塩分を除去しなければ木は枯れてしまう。6時間以内が勝負の重労働だ。弱った木をなんとか手入れし、収穫量が元に戻ったのは昨年のことだった。

 台風以外にも天敵はいる。春はキドクガやハモグリバエの幼虫対策に追われる。今年の夏は台風がない代わりに小雨だったため、一日3㌧の水を与え、しのいだ。

大粒で例年より甘めに

 農家となって11年目の今年、憲治さんはJAおきなわ北部地区シークヮーサー生産部会本部支部長に就任した。「年明けの寒波の影響で、例年なら2月下旬から3月初めの開花が遅れ、生産量は3割ほど落ち込んだが、無事収穫できてほっとした」。実の付きが少ない分、粒が大きくほのかに甘みが増しているという。

 仲井間家では毎年、収穫期に大量の実を搾り、製氷皿で凍らせた「シークヮーサー氷」をストックしている。タカ子さんのお気に入りは水に入れるだけのシークヮーサーウォーター、憲康さんは泡盛のシークヮーサー氷割り。青切りの時期が終わっても100%果汁ジュースなどを取り入れ、年中シークヮーサーを楽しんでいるという。

 加工商品も豊富なシークヮーサー。ぜひ、自分だけのおいしいレシピを見つけてほしい。

シークヮーサーの新しい搾り方

 

 今回オジャマした仲井間さんの畑で、タカ子さんが搾るとき「タネが出にくい」シークヮーサーの切り方を教えてくれた。ヘタに近い部分を浅めにカットすると、ちょうど上イラストのようになる。2等分に切って搾るより、タネが出にくいのでお試しあれ。