作家の大城立裕さんが老衰のため亡くなった。95歳。今年5月に自伝的小説「焼け跡の高校教師」を出版したばかりだった。

 沖縄の戦後文学史は、沖縄戦と米軍統治、固有の文化を背景に、それへのこだわりを通して、独自の表現を育ててきた。

 作品の質や量だけでなく、小説から創作組踊に至るまで手掛けたジャンルの幅広さにおいても、停滞感を感じさせない筆力で生涯現役を貫いた活動の長さにおいても、大城さんは際立っていた。

 大城文学の最大の特徴は、沖縄の歴史と文化を掘り起こし、沖縄のアイデンティティーを生涯問い続けたことだ。

 「実験方言をもつある風土記」という副題のついた「亀甲墓」は、沖縄戦における亀甲墓での暮らしを老女を主人公として描いたもので、土着文化の豊かな鉱脈を掘り当てたことが高く評価され、その後の作品にも大きな影響を与えた。

 1967年に芥川賞を受賞した「カクテル・パーティー」では、従来、見られなかった視点を導入した。

 「中国に対する加害者意識をもつことによって、いまの加害者(米軍)へ抵抗する資格を得る、という論理を考えた」のだという。

 「小説琉球処分」「恩讐の日本」「まぼろしの祖国」の3部作は、日本による差別と沖縄側の同化志向の根深さを浮かび上がらせた歴史小説の大作である。

 同化志向からどのように抜け出していくか。それが生涯のテーマだった。

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 大城さんには時流に異議を唱える辛口のエッセーが多い。政治的な立ち位置が分かりにくい、との指摘もついて回った。

 古くは53年、衆院議員来島の際、学童が日の丸を持って出迎えたとき。大城さんはこれを問題視し、地元紙に「学童を政治に使うな」と投書した。

 復帰運動に同化志向のにおいをかぎとり距離を置く一方で、反復帰論に対しても批判的だった。そのような姿勢が保守層を喜ばせたのは事実である。

 50年代半ば、米軍政に反発し、抵抗の文学を志向した「琉大文学」に対しては、とりわけ厳しかった。

 「琉大文学」批判に対しては、米軍の反共政策の苛烈さを無視しすぎるとの声もあった。

 大城さんが示した現実主義をどのように評価すべきなのだろうか。これから研究が進むことを期待したい。

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 大城さんが、現実政治に関与し、新基地建設阻止県民大会の共同代表に名を連ねたのは2015年5月のことである。

 「ヤマトの政治的な壁は厚い」と感じつつも、沖縄の至るところで文化的自立を求める動きが起こっている、と記者のインタビューに答えている。

 「普天間よ」「辺野古遠望」という二つの短編を発表したことは、この問題の行く末を深く案じていたことを物語る。

 大城さんはとうとう、その結末を見ることなく逝ってしまった。