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荒廃した首里城、正殿前の彼女たちはだれ? 明治後期に撮影か

2020年10月30日 11:11

 歴史民俗資料を数多く展示する私設博物館「諸見民芸館」(沖縄市諸見里)の伊礼吉信館長(72)が、首里城の正殿前で撮影されたある1枚の写真の情報を呼び掛けている。写真は1900年代初期の明治30年代後半から40年代にかけて撮られたとみられ、はかまに身を包んだ女学生や、正面向きの大龍柱が記録されている。専門家は「服装も荒廃した正殿もきれいに写っており、貴重だ」と話している。(中部報道部・豊島鉄博)

伊礼さんが約20年前に入手した写真。明治30年代後半~40年代にかけて撮影されたとみられる(伊礼さん提供)

(上)首里城火災から1年を前に、写真の情報提供を呼び掛ける諸見民芸館館長の伊礼吉信さん=7日、沖縄市諸見里・同館

伊礼さんが約20年前に入手した写真。明治30年代後半~40年代にかけて撮影されたとみられる(伊礼さん提供) (上)首里城火災から1年を前に、写真の情報提供を呼び掛ける諸見民芸館館長の伊礼吉信さん=7日、沖縄市諸見里・同館

 写真は縦10センチ、横13・5センチの大きさ。伊礼さんは写真を、以前米軍キャンプ・キンザー内の沖縄戦資料館で館長を務めていたデーブ・デーブンポートさん(故人)から、沖縄戦の終戦間近の写真と共に約20年前に譲り受けた。正殿の写真は、デーブさんがアメリカで収集したと話していたという。

 那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は、正殿前の大龍柱が正面向きであり、県立高等女学校が明治37年(1904年)に首里城内の仮校舎に移転し、その後明治41年(1908年)に安里村(当時)に移転したことから、「明治37~41年の間に撮影された可能性がある」とみる。

 写真のはかまに波線の紋章があるのは、当時、県立高等女学校のほか、県師範学校女子講習科も首里城内にあったことから、「区別するために付けられたのでは」と推測。「写真の髪形などから女学生の風俗が分かり、正殿も間近にきれいに写っており、貴重と言える」と話した。

 伊礼さんは「首里城火災から1年がたつ。『ひいおばあちゃんが写っている』といった証言が分かればうれしい」と呼び掛けた。

 問い合わせは伊礼さん、電話090(9789)9289。

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