沖縄戦の軍事的中枢だった旧日本軍第32軍司令部壕の実態解明へ向け、玉城デニー知事は国内外の関連資料を収集すると発表した。

 首里城の地下に掘られた32軍壕について、分かっていないことはまだ多い。首里城火災を機に壕の保存・公開を求める声も高まっている。その足掛かりとするためにも県の調査に期待がかかる。

 本年度は県公文書館などが所蔵する旧日本軍や米軍、琉球政府の沖縄戦資料など約60万ページから32軍壕に関する記録を抽出しリスト化する。県外や国外の新資料も探す。県民にも証言や体験手記、資料の提供を呼び掛けるという。

 玉城知事は「網羅的に収集して史実面から解析を進める」との方針を述べた。収集された資料は、本年度中に始まる32軍壕の保存・公開に関する検討委員会の議論に生かす予定だ。

 32軍壕は総延長約千メートル、深い所では地下30メートルにもなる。米軍の本土上陸を遅らせるための持久戦と位置付けられた沖縄戦の指揮が執られた場所だ。戦況が悪化し南部へ撤退した結果、軍民混在状態となり大勢の住民が戦闘に巻き込まれ犠牲となった。

 どのような経緯で南部撤退が最終的に決定されたのか。約千人の軍人・軍属が集団生活を送り、世話係の女性たちもいたという壕内の詳細はどうだったのか。

 周辺には鉄血勤皇隊が拠点にし、戦時中に陣中新聞が刷られていた「留魂壕」もあった。それらも含めて記録や証言を掘り起こし、新たな事実を明らかにしてもらいたい。

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 さびた銃身、土砂に埋もれた軍靴、つるはしで削った跡が残るクチャ(泥岩)の壁…。11年ぶりに32軍壕の内部を撮影した映像が8月に公開され関心を集めた。

 現在唯一確認できる沖縄戦当時の入り口から入り、旧日本軍が南部撤退時に爆破したため落盤した岩で埋まった最深部までの150メートルほど。映像を見るだけでも生々しさが伝わってくる。

 沖縄戦の体験者が年々減少する中、戦禍の跡などが残る「物言わぬ語り部」の重要性が増している。那覇市議会が壕の保存・公開を求める意見書を全会一致で可決したのもそのためだ。

 壕を巡っては崩落の危険性などを理由にこれまで「一般公開は困難」とされてきた。だが土木技術は進化している。何らかの形で内部を見てもらう方法はあるはずだ。

 県は復帰50年の目玉事業に位置付け、実現に力を注いでほしい。

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 32軍壕は沖縄戦を考える上で重要な「負の遺産」だ。悲惨な沖縄戦の実相を次代に伝えるため、平和学習の場として役立てるためにも、県の文化財指定が欠かせない。

 首里城公園内では現在、昨年の火災で焼失した正殿などの復元に向けた作業が進められている。32軍壕も一体的に整備してもらいたい。

 保存・公開には県民の後押しが不可欠だ。県には調査の成果を積極的に発信し、公開の在り方などを議論する材料にしてほしい。