米軍施政下の1954年に起きた沖縄刑務所暴動で、捜査当局が瀬長亀次郎氏ら人民党幹部に罪を着せようと、受刑者に偽証を依頼していたことが、当時の裁判資料で分かった。「瀬長を起訴するから証人になってくれないか」と持ち掛けるなど、生々しい工作が記されている。当時の刑務官も本紙の取材に瀬長氏の無実を証言しており、瀬長氏らは最終的に罰されなかった。(編集委員・阿部岳

琉球政府と受刑者代表の団体交渉を見守る瀬長亀次郎氏=1954年11月8日

政治的弾圧

 事件は66年前の11月7日夜に起きた。劣悪な待遇や刑務官の暴力に対する受刑者の不満が爆発し、11日午前まで5日間にわたって刑務所が占拠された。

 ちょうど前月に瀬長氏と、人民党幹部で豊見城村長だった又吉一郎氏が米軍による政治弾圧で入所したばかり。米軍の実質的下部機関だった琉球政府の捜査当局は両氏を首謀者の中に加え、騒擾(そうじょう)罪で起訴しようとした。

 瀬長氏は起訴を免れたが又吉氏と、人民党員と見なされた男性の2人は首謀者として起訴された。2人から弁護団に宛てた文書や公判記録など資料一式を後年、又吉氏が宮古島の農民運動関係者に託しており、2017年に那覇市の不屈館に寄託された。

 この資料によると、男性の初めての取り調べの冒頭、検事は「君は既に起訴される様(よう)になっている(中略)こちらは合法内の権力は最大限利用出来(でき)る」(原文のまま)と宣言していた。

■裁判で無罪

 捜査当局はほかの受刑者に対する取り調べでも「君達(たち)は世界に類例のない大事件をしでかした。だから皆死刑か、無期懲役は免れない。誰が事件を起こしたか、正直にいえば、君は大目にみてやる。セナガ、又吉を支持するか」などと誘導を図っていた。

 刑務所内で禁じられ、受刑者が欲しがっていたたばこも与えた。捜査当局の筋書きに沿って瀬長、又吉両氏を首謀者集団の「顧問」だと供述する受刑者もいた。

 しかし、又吉氏は一審で無罪判決を受けた。もう一人の男性は一審で懲役1年の有罪判決を受けたが二審で破棄差し戻しとなり、最終的に無罪となった。

 琉球大の森川恭剛教授(刑法)は「裁判では検察側証人の供述の信用性が否定されており、検察側が無理な供述をさせたと推測できる。事実を曲げてまでも暴動の責めを人民党に負わせようとする動きが捜査当局にあったことを具体的に示唆する資料だ」と指摘した。