木村草太の憲法の新手

[木村草太の憲法の新手](140) 学術会議の会員任命拒否 侵害された「学問の自律」 首相答弁が重要性証明

2020年11月15日 09:21有料

 今回は、日本学術会議の会員任命拒否問題と学問の自由について検討しよう。時折、「会員になれなくても、個人で研究するのは自由だから、学問の自由は害されない」という主張を目にする。しかし、この主張の基礎にある「学問の自由(憲法23条)」の理解は浅薄に過ぎる。

 学問の自由が、単に、「公権力に邪魔されずに好きなことを考え、伝えること」を意味するだけならば、「思想良心の自由」や「表現の自由」を保証すれば十分だ。では、なんのために学問の自由がわざわざ保障されているのか。長谷部恭男教授は、憲法23条は、「学問の自律性、つまり当該学問分野で受け入れられた手続きおよび方法に基づく真理の探究の自律性を確保すること、とくに、政治の世界からの学問への介入・干渉を防ぐことを、その目的とする」(『憲法(第7版)』)と解説する。

 こうした理解に基づくならば、例えば、首相がデータの捏造(ねつぞう)を指示したり、学問的に誤っているのも関わらず、政府の方針に沿った発言をするよう強要したりすれば、たとえその者が公的機関に所属していたとしても、学問の自律は害され得る。

 学術会議は、学問に基づき勧告・提言を行う組織だ。だとすれば、学術会議にも政治権力からの自律を保障すべきだ。また、会員は「優れた研究又は業績がある科学者」の中から選ばなくてはならない(日学法17条)。研究・業績の評価が学問的判断であることからすれば、憲法23条の学問の自律の保障は、学術会議の人選にも及ぶと解釈するのが自然だ。

 実際、国会と内閣も、そのように理解してきた。制定当初の日学法は、大臣の任命手続ききすらなしに、科学者の選挙で会員を選ぶことを認めてきた(旧日学法7条)。国立大学の学長が、形式的とはいえ、文部大臣・文科大臣によって任命されるのと比較すると、人選の自治をより強く認めた立法例と言える。また、選挙制が推薦制に改められた1983年の国会答弁で、当時の中曽根康弘首相は、「政府が行うのは形式的任命」とする根拠を「学問の自由独立」に求めている。

 石川健治教授は、今回の事態で強調すべきは、この「学問の自律」だと言っている。今回の任命拒否が、学問の自由の侵害でないとする主張には、あまりにも無理がある。

 最後に、国会での議論について、一点、指摘しておきたい。菅首相と井上信治科学技術担当相は、「今までもそういうケース(定年による欠員)はあった」との理由で、任命拒否による欠員は違法でないと答弁した(5日の参院予算委)。

 しかし、定年による欠員も、日学法7条1項違反であることに変わりはない。だからこそ補充の規定がある(同4項)。また、今回は、210人の「半数を任命」と定める日学法7条3項が適用される場面だ。「半数」未満の任命による欠員を違法でないとするのは無理だろう。さらに言えば、「過去にもあった」ことは、その行為が適法である理由にならない。

 菅首相と井上大臣の答弁は、正しい学問に基づかない解釈がむちゃくちゃになることを示している。今回の事態は、学問の自律の重要性を証明したといってよい。(東京都立大教授、憲法学者)

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